蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

続・NHKが好き

♪バガテルop30 昨日NHKには多少の知性があるが、民放にはそれもなくて痴性しかないと暴論を吐いた。しかしそれにはそれなりの原因がある。ドラマにせよ、ニュースにせよ、NHKと民放では制作費のスケール、そして制作費の大元である経営母体の売り上げが違う…

NHKが好き

♪バガテルop29私は何を隠そう民放テレビ大嫌い、NHK衛星放送大好き人間である。その理由はいままでさんざん民放テレビで放送される番組、ではなくて、その番組のおまけで放映されるCMをさんざんつくってきたので、もうCMなんか二度と見たくもないからであ…

吉本ばなな著「まぼろしハワイ」を読む

照る日曇る日 第76回「だってさあ、天国に行っても、きっとお酒は飲めるし。でもそこにはきっと順番はないの。きっとさ、思ったことがさっと叶うんだよ。父さんと母さんはそういうところにいるの。きっと。まわりの空気がゆっくりと甘くて、包まれてるみたい…

ある丹波の女性の物語 第23回 前田先生

遥かな昔、遠い所で第45回若い日の私に一番影響をあたえたのは前田先生であろう。先生は日毎に軍国主義になって行く事への不安と批判を語られた。そして私が感じている家の宗教としての基督教への不満にこたえてくれる、唯一の人であった。 作文は新任の横田…

ある丹波の女性の物語 第22回 大本教弾圧事件

遥かな昔、遠い所で第44回 一番小さい店員さんが、満豪開拓少年団に入隊していったのもその頃だった。 女学校でも毎朝、朝礼で軍時色の濃い歌を斉唱するようになり、月の何日かは日の丸弁当を持参するようになった。日中戦争が進展し、占領のたびに提灯行列…

ある丹波の女性の物語 第21回 金丸先生

遥かな昔、遠い所で第43回 近くのお菓子屋さんに下宿していた作文の金丸先生は、ずんぐりしてみかけは悪かったが、私を可愛がってくれた。作文の研究発表会というのがあり、府下の先生達の教材に私の作文が選ばれた。橋立への修学旅行の感想文だったと思う。…

エドワード・ラジンスキー著「アレクサンドル?世暗殺」を読む

照る日曇る日 第74回ロシアを代表する人気作家エドワード・ラジンスキーが書いたロマノフ朝第12代ロシア皇帝アレクサンドル2世の治世とその暗殺を描いた、上下巻あわせて750ページのドキュメンタリー超大作である。ロシア文学は好きだが、ソ連とかスターリン…

ある丹波の女性の物語第20回女学生時代

遥かな昔、遠い所で第42回 「大学は出たけれど」と言う言葉が、流行語になるような就職難時代がやって来たけれど、私は相変わらず暖かい家庭に包まれていた。お茶の稽古に行き、初釜と云うと訪問着や絵羽織を作ってもらって喜んだりしていた。 春には両親と…

長楽寺を偲ぶ

鎌倉ちょっと不思議な物語90回長楽寺はかつて長谷211番地から225番地にあった廃寺で、文応元年1260年の大火事で焼けたそうだが、その場所は、つい先日まで中原中也展が開催され、その庭園に秋バラが咲き誇っていた鎌倉文学館のすぐ傍にあった。『鎌倉志』に…

ある丹波の女性の物語 第19回

遥かな昔、遠い所で第41回 座敷が新築されてから、基督教の伝道に来る先生方の宿を進んでするようになり、賀川豊彦先生は5、6度も泊まられ、その他本間俊平先生など多数の先生方が宿泊された。 今の世も何かを求める時代と言われるが、当時賀川先生の講演会…

ある丹波の女性の物語 第18回

遥かな昔、遠い所で第40回 4年生の頃と思うが、夏休みの後半の夜中から私は40度を越す高熱がつづいた。何人もの医師をかえても熱は下がらず、医師の合議の結果、腎盂炎らしいという事になり、頭とおなかを冷やし、絶対安静の一ヶ月を送った。その頃は今の…

ある丹波の女性の物語 第17回

遥かな昔、遠い所で第39回 父の訪米は父自身の人生の一大転機となった。機を見る事にさとかった父は、かねてから履物業には見切りをつけていたので、アメリカ人の家庭の洋服ダンスの中の沢山のネクタイ、婦人のかつら靴下等が、その時々の服に合わせて使用さ…

ある丹波の女性の物語 第16回 小学校時代

遥かな昔、遠い所で第38回 「しょうわあ、しょうわあ、しょうわのこどもよ、ぼくたちわ」歌いながら一年生の私達は、運動会でお遊戯をした。 昭和元年は年末の僅か6日間で、昭和2年になってしまったのである。 その年に丹後大地震が起こった。丁度、店員さ…

ある丹波の女性の物語 第15回

遥かな昔、遠い所で第37回 大正15年4月、私は隣の本屋の幸ちゃんと綾部幼稚園に入園した。幸ちゃんは男のくせに色白で、よく風邪をひき、いつも着物で冬はくびに真綿を巻いていた。2人とも朝寝坊でよく遅刻した。誰も通らなくなった通学路の坂道を2人で…

ある丹波の女性の物語 第14回

遥かな昔、遠い所で第36回 叔母の夫は、結婚した当時から妾宅に子供があった。毎晩のように出かけて行く夫を見送り、夜中に迎えねばならなかったそうで、辛抱に辛抱を重ねた叔母の発病だったので、父は如何様にしてもいたわってやりたかったのであろうが、折…

友達の友達

♪バガテルop2814日附の日経朝刊によると、法務省は来日する16歳以上の外国人に対して、指紋採取と顔画像の提供を義務付け、来る20日より全国27空港と126の港湾で実施するそうだ。新システムは特別永住者や外交官、日本国の招待者を除く全員に適用され、この…

♪スキップする少女

♪ある晴れた日に その16高い空から秋の夕陽が落ちてくる図書館前の路上で、突然少女がスキップしはじめた。左、左、そして右、右 小さな足が交互に弾む ワンツー、ワンツー、 あどけなく歌いながら蝶が舞うそのとき、さっと母親の手を解き放った少女は、 両…

網野善彦著「中世東寺と東寺領荘園」を読む

降っても照っても第73回著者の著作集第二巻に、1987年に初版が刊行された「中世東寺と東寺領荘園」が再録された。題名の通り東寺の荘園制の歴史的変遷を、時代の推移を追って、客観的かつ実証的に執拗に追っていく。その圧巻は足掛け20年以上に及ぶ厖…

「ヒトラー最後の12日間」を観る

降っても照っても第71回まずはブルーノ・ガンツの怪演に驚き、そのヒトラー以上のヒトラーさに俳優の業の凄まじさとえげつなさを覚える。演技といえばゲッペルス夫妻の最後の姿に圧倒される。5人の女の子に睡眠剤を飲ませ、(実際にはもうひとり男の子がい…

大澤真幸著「ナショナリズムの由来」を読んで

降っても照っても第72回&勝手に建築観光27回ファシズムはある過剰性を帯びたナショナリズムであり、その過剰性は通時的には一種の現状変革への熱烈な欲求として、共時的には過剰な人種主義の形態をとり、共同体への亀裂を嫌い、熱狂的な指導者崇拝を伴う。…

ある丹波の女性の物語 第13回

遥かな昔、遠い所で第35回 祖父が愈々目が不自由になった頃、舞鶴の酒屋に縁づいていたつる叔母さんが、肋膜炎になり帰って来た。嫁ぎ先では養生させてもらえず、父が見かねて、二男二女を残して離縁してもらったのである。うちで養生して全快後、将来の為何…

ある丹波の女性の物語第12回 幼児期と故郷

遥かな昔、遠い所で第34回 「山家一万綾部が二万福知三万五千石」と福知山音頭にうたわれているように、綾部は九鬼二万石の城下町である。田町の坂を上がると大手門跡があり、それからは上は家中(かちゅう)といって士族の住居地であった。私の幼い時は、家…

ある丹波の女性の物語 第11回

遥かな昔、遠い所で第33回 ここで、私を生んでくれた母と父の事を少しのべたい。父は前述の雀部の長男儀三郎である。姉も美人であったが、父も長身、秀才、美男であった。土地の京都三中、三高、東大独法科を卒業した。田舎では有名であり自慢の息子であった…

ある丹波の女性の物語 第10回

それ以来、父は急に芸者にもてるようになり、つきまとわれだしたので、このままでは祖父の二の舞をやりかねないと、自分ながら不安になり尊敬する波多野社長の信ずるキリスト教は、禁酒禁煙だしそれを見習えば間違いなしと、動機はいささか不純で功利的であ…

護良親王の首塚を遥拝す

鎌倉ちょっと不思議な物語89回後醍醐天皇の皇子護良親王は、かの「建武の新政」で晴れて征夷大将軍となったのだが、父後醍醐のために、全知全能を傾けて、日本全国の戦場を駆け巡ったにもかかわらず、宿敵足利直義の手によって、鎌倉の大塔宮の石牢から引き…

ある丹波の女性の物語 第9回

そのような中にあって、祖母は胆嚢の手術をした。土地の医師を母が看護婦の経験を生かして助けたのである。妹のつる叔母を舞鶴へ嫁がせたが、金三郎叔父は職が長続きせず、しまいには朝鮮へ高飛びし、その間、三回もの結婚離婚を繰り返し、失敗する度に実家…

鎌響の「カルミナ・ブラーナ」を聴く

♪音楽千夜一夜第27回&鎌倉ちょっと不思議な物語87回久しぶりの晴天の午後、鎌倉芸術館を訪れて、わが愛するローカルオケの演奏を聴いた。創立45周年記念第90回特別演奏会である。青い空に白い雲が浮かんでいる。私の好きなマチネーである。 鎌倉交響楽…

ある丹波の女性の物語 第8回

当時はまだ鉄道もなく、花嫁達は福知山街道を人力車にゆられて夕方、佐々木家についた。提灯の灯に浮かび上る母の姿を見て、金三郎叔父は「おお!きれいな嫁さん」と見とれて、大きなため息をついたそうである。 売り出しには商いに店に立つ母の姿を、近在か…

田村志津枝著「キネマと戦争 李香蘭の恋人」を読む

降っても照っても第70回最近は昭和史の本がたくさん出ているようだが、当時の日本と中国と「偽満州国」と日本統治下の台湾において、いったいどんな映画が、誰によって、どのような条件下で作られていたのかを知る機会がほとんどなかった私は、本書によって…

安藤忠雄の「歴史回廊」提言に寄せて

勝手に建築観光26回 最近ベネチア大運河入り口の旧税関跡美術ギャラリーの国際コンペに勝利して意気上がる安藤忠雄だが、この時流に敏感で商機に抜け目のない機敏な建築家が、東京に「歴史の回廊」を作ろうと提唱している。「回廊」という言葉で誰もがすぐに…