蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の女性の物語 第23回 前田先生


遥かな昔、遠い所で第45回

若い日の私に一番影響をあたえたのは前田先生であろう。先生は日毎に軍国主義になって行く事への不安と批判を語られた。そして私が感じている家の宗教としての基督教への不満にこたえてくれる、唯一の人であった。

 作文は新任の横田先生が来られ、前田先生は本来の歴史の先生に戻られた。
 横田先生は前田先生のようには心酔出来なかったが、私がだんだん万葉集にひかれていったのは、この先生の影響であったろうか。時々先生は酔ったように万葉の歌を詠じられた。

 大本教弾圧につづいて、2、26事件、そして日中戦争と、大きな事件が一番感じ易い時代に次々と起こった。しかし私は幼い時からの基督教的な影響や、物事を冷静に正しく見る目を前田先生に養われていたから、時流に流される事はなかったと思う。前田先生に学ぶ歴史教室は一般教室から独立していたから、遠慮なく時局の動きに就いても正確に話してもらった。

 年号の暗記は意味のない事だ。教科書に書いてある事は自分で読めば分る。歴史の勉強とは、正しい目で事件の本質原因を究明し、結果を勉強する事だと教えられた。教科書問題を裁いた今の裁判官にもきかせてやりたい言葉だ。
その間には、京都でみて来た洋画の事や、新刊の本等の事も面白く語られ、いつも実に新鮮で興味深かった。先生の時間は楽しみで、みんな生き生きと、目をかがやかせて聞き入ったものだった。

 時局柄そうせねばならなかったのであろうが、校長先生以下国粋主義を高揚される先生方の中にあって、前田先生は全く異色の存在であった。
 先生は独身で長身、音楽が好きで、すべての点でみんなの憧れの的であった。時には孤独な身の上を語られた。また若い日に病を養いながら、日蓮宗に夢中になり、禅宗に凝り、
プロテスタントからカトリックへと動いた心の遍歴をも語ってくださった。

 信仰は与えられるものではなく、自ら求めるものであると思い、幼い日からの自分の信仰に贅沢な悩みを持っていた私は、かたくなな心がとききほぐされてゆくようなものを感じた。
先生は悩みを聞いて解決策をあたえるのではなく、聞く事によって心の重荷を軽くして下さる方であった。「病弱な自分は二十九歳まで生きられたら充分であると思っている。」等と話されると、同情も加わって、先生の人気は尚上昇した。


♪もみじ葉の 命のかぎり 赤々と
 秋の陽をうけ かがやきて散る

♪おさなき日 祖父と訪ひし 古き門
 想い出と共に こわされてゆく