蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

追悼 ロストロポーヴィッチ

♪音楽千夜一夜 第18回風薫る5月を目前にしてエリツィン前大統領の後を追うように、ロシア、というよりは旧ソ連のチェリスト&指揮者ロストロポーヴィッチがガンで80歳で亡くなった。チェロ奏者としてのロストロの代表作は、やはり晩年のバッハの無伴奏組曲と…

暴かれた秘境

勝手に東京建築観光・第12回 ある年の夏の夕べ、私は千代田線の乃木坂を降りてS山紀信氏のアトリエを訪れた。仕事の打ち合わせを終えた私が、アトリエの前の小路をぶらぶらと歩いていると、S昌夫という歌手が経営しているスタジオがあった。そこを過ぎてさ…

東京ミッドタウンのガーデンを眺めながら

勝手に東京建築観光・第11回 歴史的風土を切り捨て、市場原理だけを優先して商業施設を乱開発する人たち。その土地固有の植生を無視して自分勝手な好き嫌いや趣味や流行で公共の場の園芸プランをわたくしする人たち。見た目や手入れや費用だけで街路樹を選定…

安藤忠雄と21-21デザインサイト

勝手に東京建築観光・第10回東京ミッドタウンの乃木坂寄りには庭園があり、その奥には三宅一生氏などが立ち上げたデザイン開発の拠点「21-21デザインサイト」が低くかがまっていた。設計はおなじみの安藤忠雄であるが、ここのコンセプトが三宅一生の“1枚の布…

東京ミッドタウン見物

勝手に東京建築観光・第9回六本木の自衛隊跡地に三井不動産が開発した東京ミッドタウンを見物した。 ここは、江戸時代は長州藩毛利家の下屋敷、明治以降は陸軍歩兵第1連隊が置かれた場所である。戦後米軍の接収を経て防衛庁が置かれたが、2000年5月に市ヶ谷…

モネ展を見る

降っても照っても 第8回さて肝心の展覧会だが、私は印象派もモネも好きだが、このモネ展はあまり感心しなかった。確かにあの睡蓮や英国の国会議事堂やビッグベンやウオータールー橋やルーアンの大聖堂などの名作は並んでいた。しかしなんだか世界各地から準…

国立新美術館を見る

勝手に東京建築観光・第8回 黒川紀章が設計した新しい国立美術館を訪れ、ついでにモネ展を見物してきた。まず美術館だが、さすが人騒がせな黒川らしくダイナミックな外装である。ガラスが丸みを帯びて大きく波打っていた。鉄とコンクリとガラスという冷徹な…

ある丹波の老人の話(19)

私の家には、“北向きのえびす様”という小さいえびす大黒の像がありました。小さい板が12枚あって、願い事を叶えてもらうたんびに板を一枚ずつ供えることになっとりました。父母が信仰しておりましたから、私も商売をやるようになってからは毎晩お灯明をあげ…

「ミニHAL」から遠くのがれて

♪バガテル op16新宿のタワーレコードの9階まで昇るエレベーターのなかには右上方の一角に監視カメラが取り付けてある。そいつは映画『2001年宇宙の旅』の主人公であるコンピューターターHAL(ご存知の通りIBMのひとつ手前のアルファベット)のように不気味な…

ロックする人、しない人

降っても照っても 第7回 2つの人種がある。ひとつはロックする人であり、もうひとつはロックしない人である。これらの人々が小説を書くと、前者からは高橋源一郎のごときロック小説が生まれ、後者からは渡辺淳一や石原慎太郎の如き非ロック小説が生まれる。…

吉田秀和と中原中也

鎌倉ちょっと不思議な物語56回吉田邸は敷地は広いが、家は年代物のまことに粗末な平屋であるがまだ存在しているのに、数寄を凝らした小林邸は跡形もない。(小林の家と庭の無残な崩壊のてんまつについては吉田秀和全集23巻「小径の今」を参照のこと)ここ…

吉田秀和と小林秀雄

鎌倉ちょっと不思議な物語55回 音楽評論家にして最後の文人作家、吉田秀和氏は、2003年に愛するバルバラ夫人を亡くされ失望落胆の日々を送られていたが、最近ようやく再起されたようである。朝日新聞、「レコード芸術」、「すばる」などに健筆を振るわれ…

吉田秀和とバルバラ

鎌倉ちょっと不思議な物語54回 私は評論家吉田秀和夫妻が手に手をとって、中原中也が死んだ清川病院の傍をゆるゆると歩いている姿を見かけたものだ。平成15年10月、吉田秀和の妻、バルバラは半年間に及ぶ入院生活ののち、骨盤内腫瘍悪化のため76歳8ヶ…

大仏次郎茶亭にて

鎌倉ちょっと不思議な物語53回 年に2回の公開日ということなので、大仏次郎茶亭に行ってみた。世間では「鞍馬天狗」で知られるこの作家の本宅はこの茶亭の斜め前にあったが、いまは別人が当時とは別の建物に住んでいる。広い庭の真ん中に今では少なくなった…

前略 神奈川県知事 松沢成文殿

長洲知事時代の神奈川県は、飛鳥田市制の横浜市と並んで全国の障碍福祉対策のトップを走っていました。ところが近年貴殿が知事になってからは、私たち障碍者関係者にとってろくなことはほとんどありません。その原因は靖国神社が大好きだった前首相が成立さ…

流鏑馬を見る

鎌倉ちょっと不思議な物語52回今日は鎌倉まつりの最終日で八幡様で流鏑馬神事がとり行われていたので、自転車に乗って見に行った。流鏑馬は久しぶりだが、いつもながらの大迫力である。武具に勇ましく身を固めた武者が、美しい優駿にまたがり、八幡様の数百…

降っても照っても 第6回

*G・ガルシア=マルケス著「わが悲しき娼婦たちの思い出」を読む。翻訳は原作とはまったく違うものである。両者は似て非なるもの、である。それなのに私たちは翻訳を読めば原作を読んだと錯覚してしまう。これはじつに奇妙な話だ。そのことは原文を読み、い…

降っても照っても 第5回 

「吉田秀和全集第24巻ディスク再説」を読むキャンバスを前にして、人物や風景を描こうとするときには目と頭が必要だが、ドガのように線で描くか、セザンヌのように色で描くか2つの方法があるのではないだろうか。前者は対象を知的・分析的にとらえ、後者は…

ある丹波の老人の話(18)

第三話 貧乏物語その5続いて翌年の正月の大売出しも千客万来で、他の店からうらやまれ、「なかなかやるもんじゃ。さすがは春助の子じゃ。と人からも褒められるようになりました。父は道楽で身を誤まったんでししたが、商売は上手やったんです。このように私…

第三話 貧乏物語その4

ある丹波の老人の話(17)私は「今は金がないが、けっして不義理はしないから、これだけでできるだけ多くの商品を卸してください」と十円を出して頼むと、主人は案外快く承諾して五十円ほどの下駄と下駄の緒を送る約束をしてくれました。この勢いで第二の店…

ある丹波の老人の話(16)

第三話 貧乏物語その3これまでの概略→ 丹波の国のある老人の物語。青年時代に養蚕教師をしていた主人公は父親の借金の返済に追われてとうとう夫婦で愛媛県に夜逃げする羽目になってしまった。私は差し押さえ残りの手回り品と売れ残りの下駄を信玄袋三つに詰…

畏るべし、友川カズキ

♪音楽千夜一夜 第18回土曜日の夜に、NHK-BSの「フォークの達人」で友川カズキという物凄い歌手のうたを聴いた。友川は1950年に秋田で生まれ、70年代から活躍していた詩人で、画家で、博打打で、歌手でもあるという。眉目秀麗な大酒呑み、だそうだが、…

ふあっちょん幻論第6回

1750年まで、中国は生活水準と文明の発展において欧州と肩を並べていた。 いや、繁栄の度合い、政治、芸術のいずれにおいても勝っていたといえよう。しかし産業革命がすべてを変えた。綿の織物産業における中国の家内制手工業の優位を打ち破ったのは、英国の…

さようなら中也

鎌倉ちょっと不思議な物語52回去る平成10年10月9日から11月23日まで、鎌倉文学館で特別展中原中也−鎌倉の軌跡―が開催された。この展覧会を見た私の記憶に今なお残っているのは、中也遺愛のコートである。中也にはアストラカンコートを歌った詩もあるが、中原…

謎が解けた!

♪音楽千夜一夜 第17回 あの有名なバッハ・コレギウム・ジャパンの音楽監督で、チェンバロ・オルガン奏者でもある鈴木雅明氏は、高校三年の半ばまでは脳外科医を目指して猛勉強をしていたそうだ。ところがそんな夏のある日、氏はたまたま作曲家の萩原秀彦氏の…

中原中也の最期

鎌倉ちょっと不思議な物語52回昭和12年夏、中原中也は詩的再出発を目指し、詩生活に沈潜するために故郷山口の湯田への帰郷を決意する。中也は疲労困憊した精神と肉体をふるさとで回復して、ふたたび文壇に復帰するつもりだった。しかし中也の衰弱は激しく旧…

ポール・ヴァレリーの「ドガ ダンス デッサン」を読む

降っても照っても 第4回 わが偏愛の思想家による偏愛の書に清水徹氏の新訳が出た。これは正確という病にとりつかれた孤独な思想家ポール・ヴァレリーが書いた、言葉の厳密な意味でもっともで楽しく、もっとも正統的で保守的で、才気煥発たる美術論考であり、…

中原中也と小林秀雄

鎌倉ちょっと不思議な物語51回晩春の夕方、中原中也と小林秀雄は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。花びらは死んだような空気の中をまっすぐに間断なく落ちていた。花びらの運動は果てしなく、小林は急に嫌な気持ちになってきた。我慢ができなくな…

中原中也と空気銃

鎌倉ちょっと不思議な物語49回昭和12年当時の鎌倉には小林秀雄、今日出海、大岡昇平、中村光夫、島木健作、岡田春吉、高原正之助などが住んでいたが、中也は足しげくこれらの友人たちを訪ねた。また街中の散歩にもよく出かけ、映画館や書店や商店や寺社仏閣…