蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

降っても照っても 第6回


G・ガルシア=マルケス著「わが悲しき娼婦たちの思い出」を読む。

翻訳は原作とはまったく違うものである。両者は似て非なるもの、である。

それなのに私たちは翻訳を読めば原作を読んだと錯覚してしまう。これはじつに奇妙な話だ。そのことは原文を読み、いくつかの翻訳を読み比べてみると分かる。日本語でも源氏物語の原文と谷崎や与謝野の現代語訳の遠い遠い距離を思えばそれが理解できるだろう。

だからこのG・ガルシア=マルケスの本もこの木村榮一氏の翻訳で読む限りは「わが悲しき娼婦たちの思い出」をほんとうに読んだことにはならない。

それはともかく、川端康成の「眠れる美女」の主題によるマルケス版変奏曲が本書である。

川端が、「たちの悪いいたづらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。」とラールゴで演奏を開始したのに対して、

マルケスは、「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。」とアンダンテ・ポコ・モッソで第1主題を歌い始める。

ここに両者の、あるいは日本文学とラテン文学の違いがあざやかに示されている。

おなじノーベル賞を頂戴しながら、逗子マリーナで芥川譲りの「漠然とした不安」におののいて自死を遂げる作家と、老いてなお馬並みの巨大な逸物で少女を貫こうとする不滅の老人の生の躍動! そのあざやかな対比を見よ!

山田詠美著「無銭優雅」も読む

これは吉祥寺を舞台にした、熟女と中年男の恋愛譚でなかなか読ませます。

エルメスよりユザワヤがおしゃれ、という視点は大賛成です。

軽薄現代カジュアル文体が不愉快だったが我慢して読んでいると次第に引き込まれました。

章間の縦横無人の引用が隠された第二の小・小説であり、それらが次第にクレッシェンドして絶妙な効果を発揮し、最後の最後にとんでもないところまで連れて行かれてしまいました。

しかしこの結末はいったいなんなんだ?