蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

東京ミッドタウン見物


勝手に東京建築観光・第9回

六本木の自衛隊跡地に三井不動産が開発した東京ミッドタウンを見物した。
 
ここは、江戸時代は長州藩毛利家の下屋敷、明治以降は陸軍歩兵第1連隊が置かれた場所である。

戦後米軍の接収を経て防衛庁が置かれたが、2000年5月に市ヶ谷へ移転したあとは自衛隊が使用していた。

当時は自衛隊といってもあまり殺伐とした雰囲気はなかった。低層平屋の建物があちこちに散在するなかを制服姿の隊員たちが談笑したり、のんびり敬礼などしている姿を見かけたものである。

ところで都民の迷惑を顧みず、天下の大東京を前後左右上下に開発する4つの巨大デベロッパーといえば東京都と三井、三菱、森グループだが、まずこの3番目の不動産屋が、かの六本木ヒルズを天空高くでっちあげた。

するてえと、名門?三井不動産も負けるものかと勇み立ち、東京どまん中まで駆けつけ、最高級ホテルザ・リッツ・カールトン東京が入居する高層タワーやら、東西2個のビジネス棟やら、サントリー美術館やら、流行の商業施設やらをてんこもりにした複合施設東京ミッドタウンなるものをでっちあげたのであるんである。

開店してからそうとう日にちが経つというのに、そこらはおばはんの団体やら視察ビジネスマンやら上流社会を華麗に生きるあほばかセレブリティの母娘などなど、大勢の善男善女たちがうろうろしていた。

しかし私はといえば、彼らと私には何の精神的物質的紐帯がないことだけが残念であった。

私が知るこの一帯は、浪費と虚飾に少し倦み疲れた六本木のすがれた風情がかつては垂れ込めていて、その点だけは悪くなかったのだが、きょうびはいかなる風情も人情も皆無の無味乾燥無機地帯と化していた。まるで白痴の土地とはあいなった。

そのかわりに、ここは汐留であるといってもよく、品川と称してもよく、なんなら香港でも桑港でもロスでもNYというても代入可能な、大量の鉄とコンクリとガラスの大群が勝手にそそりたって、我ら人民を睥睨しておったのである。

「富士フィルムの人よ、君たちはほんとにこんなオフィスで働きたいのか?どっちかいうと夕張のほうがまし環境だと思うけど」と私はつぶやいたが、インフメーションの案内嬢は聞こえなかった振りをした。

もしかして大ガラスの1羽も飛んでいまかいか、と私はいまにも雨の降りそうな曇り空を見上げたが、幻影のそれさえ近づいてはこない。

しかたなくこの東京中央町ビルジングをもういちど凝視すると、驚いたことには、それは既にして21世紀の廃墟そのものなのであった。
「創建されるや否や既にして廃墟なのに、それがお前の眼には見えぬのか? 汝臣民、何故にあっけらかんと空虚なアトリウムをさすらうのじゃ? このかわいい阿呆どもよ」
と、私はひとりごちた。

 ちなみに東京ミッドタウンの大半は、日本人好みの最大公約数メーカー日建設計が手がけ、サントリー美術館などの一部を隈研吾氏が担当したそうだ。

その隈氏は、相変わらず和風の木や紙にこだわっているというのだが、現地ではそれらは建築物総体のほんの一部を構成しているのみで、例えば青山の梅窓院やONE表参道と同様ほとんど存在感はない。

彼は「負ける建築」などとかっこいいことを言っているが、実際には「資本に負けた建築」、「世間に対するおためごかしの建築」ばかり作っているのではないだろうか?