蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

大仏次郎茶亭にて


鎌倉ちょっと不思議な物語53回


年に2回の公開日ということなので、大仏次郎茶亭に行ってみた。

世間では「鞍馬天狗」で知られるこの作家の本宅はこの茶亭の斜め前にあったが、いまは別人が当時とは別の建物に住んでいる。

広い庭の真ん中に今では少なくなった茅葺の日本家屋の平屋がちんまりと控えている。

庭にはきれいどころが抹茶を接待し、縁側にはこの作家の代表作である「天皇の世紀」の冒頭ページと作家の死によって未完の絶筆となった最終ページが並べてあった。

それは長岡藩家老の河井継之助が最期を迎えるシーンである。

大仏は長期にわたって朝日新聞に連載したこの作品を、どうしても完成させたかった。

戊辰戦争が終結し、御一新が成就し、明治天皇が即位するところまでを、なにがなんでも書きたかったのである。

横浜の大仏次郎記念館に行くと、築地のがんセンターの病室に寝たまま執筆できるように木でつくった特製の執筆板を見ることができるが、それはまさに鬼気迫る遺品である。

彼の明晰な頭脳の裡ですでに構想は固まり、おびただしい資料は書庫にうずたかく積まれ、モンブランの太字が原稿用紙に走り始めるのを待ちかねていた。

しかし作家のからだを蝕んだがん細胞が、その続きの執筆をはばんだ。

花曇の空の下で、その悔しさ、無念さ、恨めしさがブルーブラックのインキに深くにじんでいた。

茶亭の別室の縁側には、「われは小さき杯より持たねど、それにてわが真心を汲み出すなり」という小デュマの言葉が、作家の自筆の色紙に毛筆で記されていた。

ちなみに、アレクサンドル・デュマ・フィスDumas fils(1824-95)は、「三銃士」「モンテクリスト伯」などを書いた父アレクサンドル・デュマの私生児で、ヴェルディのオペラ「椿姫」の原作を書いたことで知られる。