蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

中原中也の最期


鎌倉ちょっと不思議な物語52回

昭和12年夏、中原中也は詩的再出発を目指し、詩生活に沈潜するために故郷山口の湯田への帰郷を決意する。

中也は疲労困憊した精神と肉体をふるさとで回復して、ふたたび文壇に復帰するつもりだった。

しかし中也の衰弱は激しく旧友安原喜弘を訪ねた翌10月5日に結核性脳膜炎を発病、翌日鎌倉養生院に入院した。それが現在の清川病院である。(写真)

これまた余談ながら、私の行きつけの病院もこの清川病院である。

そして昭和12年10月22日、詩人の中の詩人、中原中也は家族と友人たちに看取られながら永眠した。

おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。(「四行詩」)

これは詩人、中原中也(明治40年〜昭和12年)が入院前に書きのこした最後の詩である。


小林秀雄に託された詩集「在りし日の歌」は翌13年に出版された。遺骨は郷里での告別式のあと、吉敷の中原家先祖代々の墓に葬られた。


ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破って、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖。  「骨」