蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(19)


私の家には、“北向きのえびす様”という小さいえびす大黒の像がありました。

小さい板が12枚あって、願い事を叶えてもらうたんびに板を一枚ずつ供えることになっとりました。

父母が信仰しておりましたから、私も商売をやるようになってからは毎晩お灯明をあげて一生懸命に商売繁盛を祈り、それがうまくいったもんですから12枚の板を積み上げては下げ、また積み上げては下げ、それを何度も何度も繰り返したもんでした。

差し押さえの封印を解いてもらう話し合いでも、ちいともいじけずにテキパキやってそれが全部予想以上に成功したのも、この福の神さんが私に度胸をつけてくださったお陰やと思って、お礼の板を重ね重ねしたもんどした。

あの大阪の座摩神社にしても、あれほど入ろうにも入れなかった問屋の店へ3度目には勇敢に飛び込んで無理な取引を快く承知してもろうたんも、けっして私の力だけではなく、座摩神社やお稲荷様があんとき私に乗り移っておったとしか思えなかったんでした。


もともと私は下駄屋なんかやる気はなかったんですが、あんがい調子よく行ったので、すっかりおもしろくなり、松山落ちなどはとっくの昔に断念して一生懸命下駄屋をやりました。

そして養蚕期になると店を妻に任せて教師に行き、この頃は中上林の睦合や物部に勤め、その給料はふたたび大幅に家計の上に物を言ってきました。

そのうちに高木銀行支店が、五百円程度の融資はいつでもしてくれるようになり、下駄屋もだんだん充実してきました。

私が後年キリスト教に入り、聖書の

『それ有てる人はなほ興えられ、有てぬ人は有てるものをも取らるべし』(マルコ伝第四章二十四節)

を読むたびに、浮き沈みの多かった私の青年時代を回顧し、有たざりし時の締め木にかけられるような苦しみ、有つようになってからのトントン拍子などと思い合わせて万感無量なるもんがあります。
(第三話 貧乏物語終わり)