蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の女性の物語 第22回 大本教弾圧事件


遥かな昔、遠い所で第44回

 一番小さい店員さんが、満豪開拓少年団に入隊していったのもその頃だった。
 女学校でも毎朝、朝礼で軍時色の濃い歌を斉唱するようになり、月の何日かは日の丸弁当を持参するようになった。日中戦争が進展し、占領のたびに提灯行列が行われた。

 しかし女学校時代の一番強烈な事件は、やはり昭和10年12月の「大本教弾圧事件」であった。
 夜明け前に突然物々しい警察の機動隊が大本教本部を襲った。町民は何の事かと分らないまま物すごい足音に目をさました。

 通常どおり女学校の授業は続けられたが、すぐ近くで行われるすごい破壊力には肝をつぶした。五重の塔の屋根も大音響と共にサカサにひっくり返り飛んでしまった。すべての建物はこわされて行った。私はその地響きと、恐ろしさを身近で体験した。

 その頃、大本教は本宮山に十字型の長生殿を建設中で、王仁三郎さんは駕籠で上がり下りしていた。教祖は市の瀬に土まんじゅうのような墓所にまつられていたが、不敬罪という名のもとに弾圧が行われ、教主、信者多数が投獄されていった。
あまりのすさまじさに、言葉もなかったが、何だかとても大きい権力が、おおいかぶさって来るような恐ろしさを感じた。

♪花折ると 手かけし枝より 雨がえる
 我が手にうつり 驚かされぬる

♪なすすべも なければ胸の ふさがりて
 只祈るのみ 孫の不登校