蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

護良親王の首塚を遥拝す


鎌倉ちょっと不思議な物語89回

後醍醐天皇の皇子護良親王は、かの「建武の新政」で晴れて征夷大将軍となったのだが、父後醍醐のために、全知全能を傾けて、日本全国の戦場を駆け巡ったにもかかわらず、宿敵足利直義の手によって、鎌倉の大塔宮の石牢から引きずりだされて斬首された。

さぞや悔しかったことだろう。さぞや父を恨んだことだろう。

その護良親王の墓は、実朝の墓と同様、鎌倉に2箇所ある。1箇所はその大塔宮だが、もうひとつが今日ご紹介する「首塚」だ。

大塔宮(鎌倉宮)から浄明寺の第二小学校方面に迂回すると突然長大な石段が現れる。その急峻な長い長い石段を息を凝らして登っていく者は、次第に不気味な胸騒ぎを覚えるだろう。

晴れた日にも、雨の日にも、またうす曇りの日にも、春夏秋冬恒にここには「尋常ならざる何か」がある。絶対にある。あの「あほばかの泉」の水を飲んだこともなく、神仏なぞ信じたこともないこの私が言うのだから間違いない。

恨みを呑んで死んだ皇子の怨霊が800年経っても鬱蒼とした森林の中を彷徨っていることが肌寒いまでに実感できる。
さうして切り立った石段の頂上から下界を見下す者は、微かな眩暈を覚えるだろう。
そう、ここは明らかに異界である。

高鳴る動悸を抑えてさらに前進する勇気のある者は、頂上の神殿の裏手の奥を目指してみよ。
そこには、疑いもなく護良親王の生首が埋まっている。

ちなみに、鎌倉ならでは霊地はこの首塚を筆頭に、御霊神社や前にご紹介した妙本寺、北条高時腹切り矢倉など数多い。
死んだ作家の高橋和己は、余りにも短かすぎたその晩年を、あろうことか、この首塚のすぐ傍の、小さな小さな英国風の洋館で過ごしたが、幾夜どのような妖気に満ちた夢を見たことだらう。


♪首塚や皇子の怨念いまだ晴れず
♪首塚や人を呪わば穴ひとつ