蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

下手な小説のような松木武彦著「列島創世記」を読む。


照る日曇る日 第78回

石器時代から縄文、弥生、そして古墳時代に入るまでの、のちに日本列島と呼ばれることになる地域の歴史物語が、本書である。

あえて物語と書いたのは、この本が単なる石器や土器やらの物理的資料本位の考古学&歴史学概説にとどまることなく、「ヒューマン・サイエンス」とかいう現在欧米の人類学、経済学、歴史学などで大流行の最新型の学説を援用して、この父祖未生以前の時代の来歴について大胆な推理と解釈を施しているからである。

旧態依然とした考古学の分野に、人工物や行動や社会の本質を「心の科学」(認知考古学)によって見極め、その変化のメカニズムを真に迫って描き出そうという若き学徒の言うやよし。さいかしいざ読んでみると、「人間みな人類、我々はみなホモ・サピエンスの末裔であるからして、その心性は15万年間にわたって普遍的である」、と暗に仮定し、「新人も現代人もさぞや同じ知性と感性の働きをするに違いない」、という証明不能の粗放な科学的立場から、大昔の人々の生活と意見をさながら小説のように奔放に語るので迷惑する。
どだい嘘か真か誰にも分からぬ話を、その道の専門家から、いかにも本当でござい、としかつめらしくしゃべられても、こちとらは「ははあ、さようでございますか」、と黙って拝聴するほかないのである。
具体的には、著者は縄文や弥生の時代ごと、地域ごとに「物質文化」の変化の波が現れ、それは土器の過度の修飾などの人工物に「凝り」が盛り込まれる方向性に現れ、その方向性を読み取ると当時個人と集団のどちらのアイデンティティをより強く表現していたかが科学的に解明できる、とかなんとか講釈するのだが、私のみるところではそれこそ跡付けの見てきたような思い付きと主観的な思い込みと想像と予断の積み重ねに過ぎない。せめてそれぞれの講釈の根拠となった資料や引用箇所を網野氏のようにちゃんとそのつど表示してもらいたいものだ。

しかし梅原猛網野善彦岡本太郎和辻哲郎などの思い付きと主観的な思い込みと想像と予断を笑って許せた私だが、著者のそれにはなかなか素直にうなずけなかったのはどちらの人(にん)の出来の所為だらうか。

ただひとつ確かなこと。それは著者もいうように、列島には約4万年前から1500年前までの間に列島が寒冷化していく時期が2回あり、(?第一寒冷化期=後期旧石器後半の約2万年前まで、?第一温暖化期=後期旧石器後半から縄文前期、約2万年前から7千、6千年前まで、?第2寒冷化期=縄文前期から晩期、7千、6千年前から2800、2700年前まで、?第2温暖化期=弥生前半2800、2700年前から紀元前後まで、?第三寒冷化期=弥生後半から古墳時代を経て奈良時代後半の紀元前後から後8世紀末ごろまで)この気候変動こそが、現代と同様、列島史を動かした最大の要因であるということだ。


♪脳漿と精巣はどこかで繋がっているのであらうか