蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

NHKは大好きなのですが、N響が


♪音楽千夜一夜第29回

先日の「第9」公演では、近くに座った中年男が演奏中にさかんに巨大な望遠レンズをつけたキャメラで舞台を撮影していました。鎌倉の芸術観ではよく頑是無い赤子を泣かす若い母親がいたり、いびきを立てて爆睡するリーマンがいたりしますが、東京では演奏中に携帯で会話する聴衆が後をたたず、マーラーの9番の消えゆく余韻を会場のみんながかみ締めようとした瞬間、突然狂ったようなウラアの蛮声を浴びせかける体育会系男が出没するのみならず、最近は客同士が乱闘したり演奏中に交尾するカプルまで出現したという話を聞くので、私は極力演奏現場から遠ざかってクラシックの演奏を録音や録画を楽しむことが多いのです。

前にも書いたように「NHK大好き人間」の私は、当然NHK交響楽団の演奏を視聴する機会が多いのですが、それにしても昔ながらに相変わらずなんと退屈でつまらない演奏が延々と続いていることでせう。

ケント・ナガノとか準メルクルなぞの日系の若者についてはこれまでは多少応援しながら聞いておりましたが、浦和の闘莉王の素晴らしい仕事ぶりに比べたらまるで月とスッポン、比較の対象ですらなく、さんざん聞いた私が馬鹿だった。もうとうに彼らの将来はあきらめております。

以前の首席のシャルル・デユトワさんも、首になったモントリオールのオケとデッカに入れたフランス音楽の光彩陸離の演奏があまりにも素晴らしかったので大いに期待していたのですが、音響最悪巨砲ホールでのあまりにも空虚な演奏は(最初と最後とその中間の元妻との競演を除いて)いちじるしく精彩を欠き、その跡を継いだアッシュケナダ氏は、力余ってルイ14世の宮廷楽長リュリのように指揮棒で右手を刺し貫いたときには、これからどう大器晩成してくれるかと一抹の不安とともにこれまた大きな期待を小さなこの胸に懐いた次第ですが、やはりその不安が現実のものとなり、哀れ安部首相ともどもシドニー響に転出となった模様です。

彼はバレンボイムと違って指揮よりピアノがやはり本領だったようですね。いっそプレトニコフかロジャー・ノリントンを招くという手もあるかと思ったのですが、アシュケにこりた当局はもはや首席をおかないことにしたようです。

ロバの耳を持つ私には、スクロバチエフスキー(読響にいった)もプレビンもマリナーもつまらなかったし、多少ともましなのはでぶでぶネルロー・サンティさんくらいでせうか。

それにしても近年N響に客演する多くの指揮者たちによる演奏を聞いて感じられることは、彼らの多くが、音楽ではなくて音符を精密機械のように音響工学的に、オートクチュールではなくてプレタポルテ風に、四輪の運転マニュアルのように安直に演奏しているように感ぜられることです。

それは確かに楽譜どおりの演奏なのでせう。しかしながら私個人にとっては音楽的感興に打ち震える瞬間なぞは微塵もないのがとても残念です。だから愛する超ローカルオケ鎌響にせっせと通っているのです。
蓼食う虫も好きずきとはいえ、高いお金を払いながらあの紅白歌合戦ホールに毎月通い続ける定期会員の方々の心根が、私にはてんで理解できまへん。


♪その縄跳びの輪にどうしても入っていけない自分がいる 亡羊