蝶人戯画録

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荒岱介著「新左翼とは何だったのか」を読んで


照る日曇る日第115回

60年代の終わりからから80年代の前半までわが国の政治、社会に影響を及ぼした新左翼の活動を、第2次ブント社会主義学生同盟委員長で三里塚や東大安田講堂占拠闘争で3年有余下獄した著者が“できるだけ客観的に”振り返っている。

私は当時ノンポリの学生ではあったが、彼らのシンパとしていくつかの局面でデモやストライキに参加していたので、おおよそのことは理解していたつもりであるが、自治会や生協・サークル活動とそれに付随して党派に流入する莫大な闘争資金のからくり、明治大学自治会と生協の崩壊の顛末などまるで知らないことも多かった。

しかしなにせ権力やライバルの党派と決死の覚悟でわたりあった張本人が語り部であるから、その客観性もたえず強烈な主観性によって揺さぶられる。

1967年10月8日の昼前のこと、

左手に棍棒、右手に檸檬を握り締め佐藤訪ベトを阻止するぞわれ

 という気分で隊列を組んだ私らが羽田空港に向かっていたちょうどその頃、著者は、首都高一号羽田線鈴が森ランプで倒れた機動隊員を、高速道路の下に落とそうと持ち上げていた。

「彼は激しく抵抗、そのとき、後ろから駆けてきた女子学生が『やめてください! そんなことをしたらアメリカ帝国主義と同じじゃないですか』と機動隊員にしがみつきました。ガーンとなった筆者は『わかったよ』と彼から手を離しました。

と、まるで劇画の噴出しのようにあっさり記述してしまう著者であるが、これは事実なのだろうか? もしも都合よく女子学生が登場しなかったなら、彼は殺人を犯していたはずだが、そういう自問がなされていないことがとても気になった。

本書の第六章は新左翼ブームに水をかけ、消滅させた「内ゲバ」について詳述しているが、想像を絶する悲惨な内ゲバの記録などには、なまじそこに登場する人物に多少の見覚えがあるだけに、活字をたどることにすら大きな苦痛を覚えた。

私にとってはあらゆる思想は虚妄である。絶対正義の思想などかつて存在しなかったし、これからもそうだろう。それだのにその時々の「絶対思想」とやらに激しく依拠し、憑依して、そうしない、できない他者と敵対し、あまつさえ殲滅してしまう人たちは今日も世界中であとを絶たない。

なまじご立派な思想を脳内にせっせせっせと純粋培養すると、そいつがその人間をロボットのように操って、価値観の異なる人間を撲滅してもまるで痛痒を感じない殺人鬼になってしまうのではないだろうか。


ヘルメットに棍棒握って武装せしこの手が握りし黄色い檸檬