蝶人戯画録

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レイモンド・カーヴァー著「ファイアズ(炎)」を読む


降っても照っても第39回

原作者のカーヴァーと村上春樹の翻訳の相性は抜群によく、本作のエッセイも、詩も、短編小説もついつい村上が書いているような錯覚に陥りそうになり、電車の中で読んでいても、枕頭で読んでいても、あまりの気持ちよさ、読書の快感のあまりついつい眠り込んでしまいそうになる。まことに不可思議なコラボレーションである。

ちなみに最近協業、協同、提携を意味するこの言葉を、コラボ、コラボと略称するようですが、フランスではコラボは「対独協力者」を意味するそうなので、教養ある良い子の皆さんは、極力コラボレーションまたはコラボラシオンと巻き舌で発音するようにしようではありませんか!?

それはともかく、この2人はさながらあの気色の悪い江原圭之と三輪明宏?のやうに琴瑟相和す深い運命的な間柄だったのであらうし、またさだめし入魂の翻訳なのであらう。

ただ最後におかれた珠玉の名編「足もとに流れる深い川」の村上版タイトルにはほんの少しだが異論がある。原題はSo Much Water So Close To Homeなので、例えば「我が家にひたひた寄せてくる大量の水」とか、「おらっち(家)に迫る奔流」あるいは大江健三郎風に「洪水はわが門前に及び」などのほうがよろしいのではないでしょうか!? 
諸賢の所見をお伺いしたいものである。

強姦され殺害されていた少女を、真冬の氷のように冷たい川に放置したまま釣りを楽しんでいた夫に対する妻の不信の念が、その川の冷たさでひたひたと、ひえびえと押し寄せてくるこの恐ろしさは、やはりカーヴァー独自のクールな世界である。

なお本書のタイトルとなった「ファイアズ(炎)」は、カーヴァーが自らの文学上の恩師であるジョン・ガードナーについて書いた感動的なエッセイである。ジョン・ガードナーは、「作家を志すほどの者は、つねに心中に炎が燃えていなければならない」と説いて、そんな“めらめら”がない小説家志望の凡人どもに深々と止めを刺している。