蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(40)


第七話 ネクタイ製造

昭和3年、世界日曜学校大会が米国ロスアンゼルスで開かれたとき、私は高倉平兵衛氏と共に、日本代表メンバーの中に選ばれて渡米しました。

そのとき私は、日本の主要輸出品である生糸の消費状況に特に注意を払うて視察を行いました。

米国滞在中はしばしば信者の家庭に泊めてもろうたのですが、どこの家庭にも男子の部屋にはネクタイ掛があって、2,30本のネクタイが掛かっておる。また、婦人の部屋には靴下掛があって10数足の靴下が掛かっているのを知りました。

この米国で需要の多いネクタイと靴下はもちろん米国でも盛んに作られておるが、まだまだ輸入の余地がありそうである。さらにわが国の洋服着用者は年々増加しておりますから、今後自国の需要も増えてくるでしょう。

いま日本は大量の生糸のほとんど全部を生糸のまま輸出しているが、せめてその一部をネクタイ、靴下の製造に振り向け、内外の需要に応じたらどうだろう、

と私は考えたのでした。ネクタイなら小資本でもやれるから、これをひとつ自分でやってみよう。そして靴下は大資本を要するから、これは原料生糸を生産する郡是に勧めてみよう、と思ったんでした。