蝶人戯画録

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鎌倉の永福寺跡を訪ねて

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茫洋物見遊山記第162回&鎌倉ちょっと不思議な物語第327回

 

 

 久しぶりに頼朝が奥州征伐で義経藤原氏一族など数万を殺戮した怨霊を鎮魂するために、文治5年1189年に建立した永福寺の跡を訪ねました。

 

 以前はおよそ二万坪の茫々たる芒が原だったのですが、その後整備が進んでここに創建当時の壮麗な二階堂を中心とする大伽藍を再建しようとする構えでした。

 

 けれども鎌倉をユネスコ世界遺産に登録しようとする阿呆な企てが蹉跌したために、急にその意図が萎え萎み、加えて市財政が逼迫したために予定通りに完成するかどうかは分からなくなってしまったようです。

 

 私は田村隆一が「初夏には黄色の菖蒲が咲き乱れ、晩秋にはススキの銀色の穂が秋風にそよいでいる。この野原はいつ眺めても気持がいい」と書いていたままの天然自然の状態で後世に残すのが最上だと思っているのですが、広大な旧蹟跡を走るブルドーザーの行方がどうにも気がかりでした。

 

 頼朝はこの新御堂の建設には熱心で自ら何度も足を運んで庭石の配置を考えたり、その頼朝を暗殺しようとした人夫が捕えられたり、巨石をかの豪勇の持ち主、畠山重忠が一人で運んで頼朝を感心させたりしていますが、その畠山石が現存しているのがなんともめでたいことです。

 

 また建保五年一二一九年には三代将軍の実朝が夫人同伴で参拝して桜の木の下を逍遥するなど当初を何度も訪れています。

 

  ちなみに私は北条氏と政子は大嫌い、頼朝も嫌いですが、実朝と重忠は大好きな人間です。

 

 

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