蝶人戯画録

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鎌倉十二所を歩く その3 鑪ケ谷の巻

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茫洋物見遊山記第170回&鎌倉ちょっと不思議な物語第332回

 

 鑪ケ谷と書いて「たたらがやつ」と読む。

 

 たたらとは「たたら製鉄」のことで、我々の祖先は遅くとも縄文時代の末期に、土製の炉に木炭と砂鉄を装入して鉄を作り出す技術を身につけていた。

 

 本邦で本格的に6世紀から始まったたたら製鉄は、中国山地が有名だが、ここ鎌倉では何というても十二所のその名も鑪ケ谷が有名で、その初見は「新編相模国風土記稿」に十二所内の小名「多々羅ケ谷」とある。

 

 また「新編鎌倉志」の理智光寺の条には「鑪場西の方にあり、願行、大山不動を鋳たる所也と云ふ。按ずるに、此所桃山大楽寺に近し」と出ている。桃山大楽寺がどこにあったかは不明であるが、石切り場の大木家の傍を流れる太刀洗川に架かる小橋を渡ってどんどん直進したこの谷戸が鑪ケ谷であり、おそらく谷戸の突き当たりの竹藪が茂っている辺りで古代の人々がふいごを吹いていたのであろう。

 

 材料の木炭はこの近くにふんだんにあり、砂鉄は由比ヶ浜の海岸から滑川を遡った船に積んだ砂から採取されたのだろう。

 

 自宅から歩いて5分の鑪ケ谷は、小生の大好きな散歩道で、この谷戸の突き当たりを越えて小川に沿ってさらに遡ると古代と変わらぬ原始的な景観が繰り広げられる不思議な場所に出たのだが、いまは倒木や悪路に遮られてなまなまな備えでは前進することができなくなってしまった。

 

 いずれにせよ、ほとんど誰も足を踏み入れなくなってしまったこの場所が「古鎌倉」「原鎌倉」の秘境のひとつであることは間違いない。

 

 

  ぶうぶうとふいごを吹けばめらめらと古鎌倉の鉄燃え上がる 蝶人