蝶人戯画録

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加藤治郎著「噴水塔」を読んで

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照る日曇る日第782回

 

 

 現代歌壇の中堅として各方面で活躍中の作者が2012年から14年にかけて様々な雑誌や新聞で発表した最新作の集成である。

 

 一読してやはりもっともインパクトが強かったのは、父親の死に際して詠まれたかなり多くの短歌で、

 

 なきがらとなり給う父しんしんと鎮まりながらなお誰か呼ぶ

 

 あたたかき父の骨壷ひざにのせ氷雨の路を鳴海に帰る

 

 などはどこか斎藤茂吉の古典的な挽歌と呼応しているように感じた。

 

 メロンパン、そもそもきみは詩人でない斜めにちぎって笑ってやろう

 

 おばあちゃんはほらねひばりがばらばらになってひかりにまじっていった

 

 

 のような作者本来のいわゆるひとつの前衛的な歌いぶりが、家族の絆を再確認せざるを得ない場面では、一挙に元祖アララギに本卦還りしたような硬質でしたたかな骨格をあらわにするのが興味深く思えたのである。

 

 作者が「第57回短歌研究新人賞」の受賞作が“偽りの父の死”を題材としていたことに対して歌論の表向きはともかく、腹の中でどのような気持ちを懐いたていたかは察するにあまりがある。

 

 しかし

 

 水面の向こうに顔ありて亡き父の孤独はもしや闘争だったか

 

 うかららを見おろして居るきさらぎの茫々として父は空なり

 

 と子に詠まれた親のこころは、けっして空無ではないだろう、と私は思う。

 

 

  東京は日本にあらずベトナム北部の総称にしてその首都はハノイ 蝶人