蝶人戯画録

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池澤夏樹編「日本文学全集20吉田健一」を読んで

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照る日曇る日第797回 

 

 

 昔なんだこれ日本語かよと往生しながらようやっと読んだ「ヨオロッパの世紀末」に加えて「文学の楽しみ」という2冊の単行本を柱にあれやこれやの短編やエッセイ、シェイクスピアの14行詩の翻訳のおまけまでつけた吉田健一てんこ盛りの一大アンソロジーなり。

 

 小林秀雄吉本隆明塩野七生も悪文だが、この人の日本語はその上をいく悪文で、編者は頭の中の英語かフランス語で書いているのだろうとリップサービスしているが、とんでもない。

 

 吉本はいざ知らず、小林とか吉田は毎晩つるんで銀座で酒を飲み、深夜帰宅してから締め切りを過ぎた散文を必死で書き散らすので、こういう論旨不鮮明、牛が咀嚼する回文のような天下の迷文が出来上がってしまうのだから傍迷惑な話である。

 

 たとえば「文学の楽しみ」の中で、「ポール・ヴァレリーが啄木の蟹と戯れる歌を仏訳したものに純粋詩を見たのも、啄木よりも日本の歌というものを思うならば少しも無理なことではくて、彼に新古今和歌集が読めたならばさらに何と言ったか解らない」などという内容はともかくかなり思わせぶりな文章も、もっと単純明快な散文で言い表すことができたはずである。

 

 ではあるが、こっちも彷徨える牛になって丁寧に徘徊してみると、これくらい「文学の楽しみ」を微に入り細に渡って噛んで含めるように解説している文章は世界中どこにもないのではなかろうかという気がしてくるから不思議である。

 

 ともかく古今、洋の東西を問わず、これくらい世界文学の深さと楽しさを味わいつくした人はそれほど多くはないだろう。

 

 けれどもその同じ人物が酒や食い物を語り始めるや、世紀の悪文も諸手を挙げてバッカスを讃える喜悦の平叙文となり、銀座の酒場で呑み明かした日本酒の蔵元に誘われてそのまま灘に向かい、その日も大阪の料理屋「しる一」で斗酒なお辞さぬ酒豪連中とうわばみのごとく呑み明かす「酒宴」ほど痛快な読物も世にまたとあるまい。

 

 

   泉水橋医院で呉れた薬をみな飲めば下痢と吐気で二日眠れず 蝶人