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蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

新潮日本古典集成新装版「萬葉集五」を読んで

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照る日曇る日第817回

 

 シリーズの最終巻は本編の巻一七、一八、一九、二〇の4巻を収録していますが、これらは基本的には編者大伴家持の個人歌集を軸にしたいわば「私的」なもので、それまでの作品がおもに「公的」な作品であったことと際立った対照をなしているようです。

 

 家持が天平勝宝5年2月に詠んだ春愁の歌

 

 春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす 鳴くも

 我がやどの いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも

 うらうらに 照れる春日に ひばり上り 心悲しも ひとりし思へば

 

  は、いずれも人口に膾炙した名歌ですが、その下に流れている孤独で乾いた感受性はどこか中原中也萩原朔太郎の詩の下にも流れ入っているようです。

 

 萬葉集の編集をほぼ終えて延暦4年に没した家持は、藤原種継暗殺事件の首謀者の疑いをかけられ、桓武天皇薨去平城天皇が即位した大同元年に至るまでのおよそ20年に亘って犯罪人扱いされていたのですが、にもかかわらず天平宝字3年元旦に詠まれ、萬葉集の掉尾を飾った彼の最後の歌

 

 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉時

 

 は、新たな治世と輝かしい詩歌の時代へ捧げられた「予祝歌」だったのでした。

 

 なお前巻同様、本卷の末尾に付された井出至氏の解説が秀逸で、以前は「呪物」であった花鳥が客観的な「詠物」へと変化するのは萬葉集以降であること、萬葉人にとって「夜」は「昼」とは異なる邪悪な精霊の時間であり、恋しい人を夢見ることは恋人に会うことと同質の行為と考えられていたこと、旅は我われが想像する以上に過酷なものであったこと、などが具体的に論じられていてとても勉強になります。

 

     震災も原発事故も九条もなかったことにする人々 蝶人