蝶人戯画録

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芥川龍之介の借屋跡を訪ねて


茫洋物見遊山記第69回&鎌倉ちょっと不思議な物語第249回


由比ヶ浜の下宿の後で芥川が居を構えたのは若宮大路をはさんで遠く離れた由比若宮(元八幡神社)の傍らでした。

由比若宮は鶴岡八幡宮の前身で、前九年の役で奥州を鎮定した源頼義は、康平六(1063)年に石清水八幡宮を源氏の守り神として当地に勧請し、治承四(1180)年に頼朝が新たな社殿を現在地にまで移転するまではここが源氏の本拠でした。

現地を訪ねてみると赤い鳥居の神社の境内にはイチョウなどの巨木が高くそびえ、狭いながらに歴史と風格を感じさせてくれます。

大正七年、新妻の塚本文と共にこの若宮の近所に居を構えた龍之介は、教職を辞して創作に専念しましたが、翌八年には東京の滝野川(学生時代に私も住んでいたことがあります)に引越し、二度と帰らぬ死出の旅路に向かったのです。

「芭蕉が軒をさえぎったり、広い池が見渡せたり」する龍之介の借屋は、ある実業家の広大な別荘の中にあって八畳、六畳、四畳半に湯殿と台所がついた家賃八円未満の一軒屋で、短い間でしたが新婚夫婦はこの寓居で「泰平無事に」暮らしていました。

漱石の後継者としての重責に耐えず昭和二年に自裁して果てた若き天才でしたが、死の直前に彼自身が振り返っているように、おそらくこの時が生涯でもっとも幸福な時だったのでしょう。

現在はなんの変哲もない二階建てのアパートになっている借屋跡を呆然と眺めていると近所の婦人が出てきて「一五年前までは当時のままで残っていたんですよ」と往時を懐かしむように教えてくださいました。
(参考資料 鎌倉文学館、鎌倉の神社、芥川龍之介全集)


ずっと鎌倉なら自殺はしなかったかいややっぱり死んだだろうな芥川 蝶人