蝶人戯画録

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アリス・マンロー著・小竹由美子訳「小説のように」を読んで

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照る日曇る日第666回 

 

 

私がこれまで読んで来たマンローの小説に、駄作は一本もありませんでしたが、これは恐るべきことのように思われます。

 

マンローの小説は、そのすべてが短編、あるいは長くても中編なのに、まるで長編小説のような長いリーチとしたたかな重量、そして鋭い劇性と起伏を内蔵しているのです。

 

またマンローの小説は、プロットの展開も登場人物の行動のみならず内省や心理の動きもきわめて映像的であり、すべての局面が「映画のよう」に推移するのが特徴のひとつです。

 

流行作家に成り上がった旧知の小娘に私事を書かれたヒロインが、あえてサインをしてもらいに書店へいく表題作「小説のように」、同じく年輩のヒロインが、たまたま交通事故に遭った少年に人工呼吸を施すシーンがとりわけ感動的な「次元」、ロシア人で初めての女性の大学教授になった数学者にして作家のソフィア・コワレフスカヤ最後の数日を鮮やかに切り取った「あまりに幸せ」などを読んでも、素晴らしい映画になること請け合いです。

 

だからもしも彼女がみずから声明しているように筆を折ったとしても、これから私たちには映画になった彼女の原作を鑑賞するという楽しみが残されているのです。彼女がそれを許可すれば、の話ですが。

 

さて粒揃いの傑作が並んだ本書のなかで、私の心を捕えた一作は「子供の遊び」でした。

 

「天使のように無邪気で純真な」子どもの心の奥底に棲息する悪魔が、ふとした気まぐれから、自然に、いともたやすく、どのように恐るべき事件を引き起こすか。そしてその罪がいかにして忘れられ、いかにして突如蘇ってくるのかを、これほど淡々と、しかも真に迫って描き尽くした、それこそ身も心も戦慄させる文章を、私はこれまで目にしたことはありません。

 

いかにして大木を切り倒すかという技術論から、「偏微分方程式についての理論」まで、小竹由美子さんの翻訳は今回も冴え渡り、さながら著者の日本人の分身のようです。

 

 

なにゆえに阪神は万年駄目トラなのか虚人を巨人と勘違いしているから 蝶人