豊島ゆきこ著「りんご療法」を読んで
照る日曇る日第728回
川越在住の歌人の第1歌集ですが、その表題がとても個性的です。それは
つやつやのりんごたくさんスライスし煮詰むればたのし りんご療法
という、ちょっと意表をつく1首から採られていて、日々台所に立つ主婦の労苦とそこからのしばしの慰藉と、その双方に向き合いながら深々と感受する、成熟した大人の女性の姿を垣間見ることができます。
労苦とは何か? それはたとえば、次のようなことどもでしょう。
連休は旅にも出でず仄暗き店蔵にゐて商ひをせり
誰に褒めらるることなく子供会役員終へぬ 梅が満開
夏に逝きし胎の児あればいきいきと電車で遊ぶこの子を眺む
何をどう思ってゐてもわたくしはしあはせ なのに抗鬱剤のむ
長女であり「よい子」であった少女期のわたしはすでにゐないのだ母よ
慰安とは何か? それはたとえば、次のようなことどもでしょう。
時の鐘ごおおーんと鳴る午後三時夫に声かけコーヒー淹れぬ
ひつそりと青き椿の実の成るを家人の誰も知らぬ秋の日
あさがほをひらかせてこし朝の風ラジオ体操の子らを撫でゆく
けふ一日鳥になりたし金の粉をまぶせるごとき木犀日和
どの歌もこの歌も、生活の底から湧き出る実感に即していて、まことに味わい深いものがあります。
歌人と同じ商家に生まれ育った私などは、いつも店先に座して客を待っていた亡き父母の姿も思い出され、懐かしい限りですが、この歌集で特に胸を打つのは、子を思うたくさんの母の歌です。
枕もち子は隣室へ移りゆき親子みたりの川の字崩る
「なんだよ」とたち上がる子はすでにわが鼻先に迫る もつと反抗せよ
鳥肌が立つほど冷房効かせゐる部屋に説かれぬ「偏差値67」
偏差値の話ききつつたうとつに生れし日の子のぬくもりおもふ
最後に私が勝手に選んだベスト5をご紹介しつつ、歌人のご活躍とご健勝を祈念いたします。
庭は緑、犬はくつろぎ、生活ととのふほどの虚しさ
京の地に桜守なる職ありて一年さくらを思ひ暮らすと
疲れたる夕べの人を癒すため豆腐屋はラッパ吹いてゐたのか
子がひとりゐるといふこと私の興したちひさな会社のやうだ
丸ごとのキャベツざくっと切るときにしぶき立つ霧明快に生きむ
なにゆえに重き荷物を持たぬのかそれで父は亡くなったから 蝶人