蝶人戯画録

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梅原猛著「親鸞「四つの謎」を解く」を読んで

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照る日曇る日第760回

 

親鸞の出家の謎」、「法然入門の謎」、「親鸞結婚の謎」、「親鸞の悪の自覚の謎」、という四つの謎を彼なりに解いてゆくという趣向が、まるで数学の問題を解いてゆくようなスタイルになっていて、最後に「証明終り」などと記してあるのがなななかにユーモラスである。

 

このようにまだ誰も解決したことのない難問を該博な知識と執拗な論理思考、そして足を使ったフィールドワークで怪傑して黒頭巾をかぶるのは、昔からこの思想家の得意中の得意であったが、本書もその最新の大きな成果といえよう。

 

 著者の巨大な問いに対する回答もあっと驚く巨大なもので、嘘か真かは俄かに即断できないが、その論証の過程で飛び出した「親鸞源頼朝の甥であり、彼の最初の妻は九条兼実の娘、玉日である」という発見にも驚かされる。

 

 また著者は、かの有名な「悪人正機説」を最初に唱えたのは親鸞ではなく、彼の師、法然であること、また親鸞の教説の主眼は、その「悪人正機説」ではなく、その先にある「二種廻向」にあったと力説する。

 

 「二種廻向」とは「往相廻向」と「還相廻向」という2つの転身転生コースのことである。

 

 前者は衆生が念仏を唱えて阿弥陀仏のおかげで「どんな悪人、凡夫、女人であっても」極楽往生できる道行きであるが、法然はもっぱら「自利」をモットオにするこの片道転進への奨めを説いていた。

 

 しかし親鸞は、いったん極楽往生した衆生が、迷える衆生を救済するために再び現世に戻って「利他」を実践する「還相廻向」を重視した。それが偉大な2人の先覚のもっとも大きな違いであるという。

 

 そしてこの世に帰還した聖なる人間は、現世→来世→現世etcという無限の行程を繰り返し、たとえ生身の肉体は幾たび消滅するとも、私たちのDNAが不滅であるように、過去現在未来永劫にわたって果てしなき転生、生まれ変わりを続けていくのだと説くのである。

 

 この縄文以来の私たちの死生観を、最新の遺伝子工学で補強した、いっけん非科学的な宗教哲学を、私は著者の混迷する現代と人類へのラスト・メッセージとしてしかと受け止めたいと思う。

 

 

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