蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

月曜日記

朝電車の中で冠雪した富士山が見え、「ああ今日はもうこれを見ただけでよし」と、満足した。
それでも引き返さずに新宿まで行って学食でまたしても650円の「海鮮丼」なるドンブリを頼んだら、なんとなんと魚のほかに私の大嫌いな納豆とやまいもをおろした奴が(おくらと一緒に)ご飯に乗っかっていた。

これって海のもんじゃなくて山のもんだろ。海鮮をやめて「海千山鮮丼」に改名しろ、と文句をいいたくなった。

おくらは食べたが結局全体の1/3は食べられなかった。もお二度と海鮮関係は発注しないからね。食い物のうらみは恐ろしいぞ!

 ぷんぷんと怒りながらキャンパスを歩いていたら、ぱったりと文化女子大の教授をしている松平さんと遭遇。前の会社で彼女はディレクター、私はチンドン屋でペアを組んで、フランスの「ミックッマック」というブランドを大売出ししていたことがある。この方はある日突然、かの会津藩松平容保公の直系のご子孫と結婚されたのでみんな驚いたものである。

松平妃と別れてから、文化の博物館でメンズモード展を見た。

2階の入り口にフランス革命当時のスーツが置いてあった。私の偏愛するモーツアルトの肖像そっくりであった。

私はドラクロアの自由の女神に描かれているサン・キュロット=パンタロンの第3階級服はないかとキョロキョロ探したが、それはなかった。ルイ16世の時代の貴族のよそおい、そしてモードの主権がフランスから英国に移ってからのフロックコートや燕尾服やサビルローのスーツなどがずらずらっと並んでいて壮観だった。

そうかと思えば、1947年製のリーバイス社の501XXがジーンズではなく、オーバーオールやブラウスという名前で登場。見ればパンツにリベットが打ってない。その頃わが大日本帝国との戦争中で金属の使用は中止していた、と注釈がついていた。あの物資が豊かな米国でも衣料品は節約していたのですねえ。ちょっと意外だった。

それからインターネットの進化について例によって熱血大授業を行い、いっさんに鎌倉に帰った。大船の上空でサガンの小説のような「素晴らしい雲」を見た。(カメラを忘れたのが残念)

鎌万という安売り八百屋で「海鮮丼」の口直しに好物の柿を買って、太刀洗行きの京急バスに乗ろうとしたら、突然騒がしい鳥の鳴き声。

見上げると小さな楠の木にスズメの大群がむらがってぴーちくぴーちくと鳴き騒いでいる。これこそは鎌倉13大名物のひとつであろう。(またしてもカメラを忘れたのが残念じゃ)

百匹はくだらない数のスズメたち(それ以外の鳥のケースもある)がこの季節しばしば駅前広場一帯で示威行動するのはいったいどうしてであろうか? 

隣にいたおばさんが、「いったいなんておしゃべりしているんでしょうねえ?」と尋ねるので、私が「そおですねえ。なんていっているのでしょおねえ」と懸命に言葉を探している間に、なんと乗ろうとしていた太刀洗行きが発車してしまったではないか。

その次のバスはハイランド行きで行き先が違う。仕方がないので東急ストアをうろうろしてしてからバス停に戻ると金澤八景行きが来ていた。ヤレヤレと思って乗り込むと、どこかの団体で超満員。時ならぬ通勤ラッシュの痛苦に耐えながら立ちんぼうで、やっとこ、さっとこお家に辿り着きましたとさ。

ああ、東京に出るのは疲れるなあ。