蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

日々是好日


ともあれ、朝になったら、まずは起き上がることだ。

起きたら、ちょっと動いてみることだ。 

そして思い切っていきをして、まだぼんやりとでも生きているか自分の胸に問うてみることだ。

君の目の前にピアノがあれば、黒鍵をひとつだけ叩いてみることだ。

なにもなければ、4年前に亡くなったムクしか聞いていなくても、口笛などを微かに吹いてみることだ。

そうすれば、また新しい1日が始まったと知れるだろう。

そうしてテレヴィをつけよう。

テレヴィをつけたとき、不運のことにいきなり安部ちゃんが現れても、前の首相のライオン丸や、障子破り都知事や硫黄島のかなたの猿面冠者が現れたときのようにかんたんにゲロを吐いたりしないで、固く目をつぶったままどんどんチャンネルを回そう。

するともし運が超よければ、BS-1のニュースで平尾由美アナウンサーの切れ長の眼に会えるかもしれない。

そしたら1日超ラッキーだろう?

そしてこれはとても大事なことだが、まもなく国会で教育基本法が可決されても、やけを起こして玄関の扉を殴りつけたりしないように我慢することだ。

それからまたしばらく時間が経って、国民投票の結果現行憲法が塵芥のように闇に葬り去られても、間違っても首相官邸に凶器を携えて潜行しないように努力することだ。

なんといっても、人間辛抱だ。

ともかくようやくここまでやって来たのだから、ぜったいに軽々しく暴力に走らないように自戒することだ。


暴力は自己表現ではなく、自己否定であり、自己滅却であることを、ここでもう一度認識することだ。

いつか首相官邸に向かう坂道で、私の左の額に警棒を振り下ろした第7機動隊の若者が、私の出血を見てすぐにその凶暴な行いを後悔したように、

そしてその若者の振る舞いについてずーと考えていた私が、何年後かに彼の暴力を許したように、

ともかくできるだけ他人を憎まないようにすることだ。

アラブよ、そしてイスラエルよ。

不幸にももし誰かを憎んでしまった場合は、なんとかしてお互いに許しあうことだ。

一時的な過激な行為に走らないように注意することだ。

また、この国の指導者のみならず、この国のすべての人々がこの私に劣らず全員タコだとしても、可哀相なこれらのタコたちのことを、

「このタコ、くたばれ」とか、

「てめえ、このタコ、くそったれ」などと、

けっして下品で、醜い言葉でみだりに罵倒しないよう、今から自戒し、そのときに備えておくことだ。

そうして私は、ゆっくりとねんねぐーして死んでいくことにしよう。

そーゆーことだ。