蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

歌舞伎座の建て替えに反対する

勝手に東京建築観光・第4回


わが国が世界に誇る最高、最大の芸術は、やはり歌舞伎であろう。

江戸のオペラともいうべきこの歌と踊りとお芝居の総合芸術ほど私の心をかきみだすものはない。
私がもしも大好きなモーツアルトのオペラと歌舞伎のどちらを選ぶか二者択一を迫られたら、やはり後者を選ぶであろう。

舞台に歌舞伎役者なんていなくても下座音楽と浄瑠璃があればいいのだ。いや杵の音がひとつ鳴ればいい。私はもうその瞬間にどこかこの世ならぬ世界、できればもう戻って来たくはない遠い遥かな時空に連れ去られるのである。

その点では98年に惜しくも100歳で亡くなった清元志寿太夫(きよもと・しずたゆう)、01年に桜花とともに散った6代目中村歌右衛門、そして昨年12月に冥界に消えた松竹の偉大なるプロデユーサー永山武臣のお三方は、わが歌舞伎界にとって埋めがたい大きな損失であった。

歌右衛門「桐一葉」の名演はいまでも瞼の裏にありありと残っているし、最晩年の志寿太夫の渋い声音も、まるで平成のファルスタッフのように融通無碍なたたずまいとともに生涯忘れることはあるまい。

ところが私にとってそんな貴重な夢を見せてくれた築地の、いや木挽町の歌舞伎座が、もうじき取り壊して立て直すという。

どうせ高層ビルにしてもっと巨大なエンタメセンターにでもしようというのだろうが、お願いだからやめてくれ。

この2600人を収容する和風建築は中宮寺本堂や大磯の吉田茂邸、大和文華館、わが鎌倉の吉屋信子邸を作った名匠吉田五十八の代表作であるぞ。

1950年に完成したばかりだぞ。しかもその音響の素晴らしさは恐らくこの大空間では日本一、いや世界一かもしれんぞ! 

二度と再現できない奇跡の殿堂なんだじょお! あの歌舞伎座と魚河岸があるから銀座なんだぞお!