蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

幻のつつじ


遥かな昔、遠い所で 第2回


郷里の我が家から田町の坂を登って質山峠を越えていくと、どこやらの山の1画が我が家の所有地になっていて、そこでは10年くらい前まで丹波名産のマツタケが採れた。

マツタケははじめのうちはなかなか見つけられない。図鑑などで見た概念だけが視野に見え隠れして実際の現物の発見を邪魔するのだろう。しかしなにかの拍子にそれは目の前に現れる。

「あ、あったぞ。ここにもあった」

大人も子どもも急な斜面を駆け登り、駆け下りながら、赤松の木陰のあちこちから顔を覗かせる大小の香り高いマツタケを競争で採った日のうれしさは格別だった。

マツタケの季節はもちろん秋だが、このマツタケ山に、なぜかきょうだい3人で初夏に登ったことがある。いまは亡き小太郎さんという祖父がわれわれを連れて行ってくれたのであった。

空は青く晴れ上がり、風はまったく吹かず、蒸し暑い日であった。
私はマツタケが採れる斜面とは反対側の山麓で途方もない大きさの見事な枝振りの赤と橙色の中間色をいした山つつじを発見した。

「これを持ってお家に帰ろう。この素晴らしいお化けつつじを小太郎さんと祖母の静子さんにプレゼントしよう」

そう決意した私はずいぶん長い時間をかけ、少年の身に余る超人的な努力をしてとうとうその赤いつつじの樹を根本から引きぬくことに成功した。

そしてそれを山のてっぺんまで懸命に引っ張りあげようとしたのだが、つつじの枝と葉の分量があまりにも多すぎて、途中の松や様々な広葉樹や草の根などのあちこちにひっかかって、とうとうある個所で押しても引いても動かなくなってしまった。

「もう帰るぞお」とみんなを呼び集める小太郎さんの声がする。私はとうとうそのおばけつつじをその場に放棄して、必死で山の尾根まで戻ったのだった。

私に引き抜かれたあのつつじはどうなったのだろう。もちろんそのまま枯れて死んでしまったに違いない。そんなことならそのままにしておけばよかったのに、と後悔したが、もう後の祭りだった。

私は時折、つつじの強烈な芳香にむせ返りながら坂を登る、私のような少年の姿を夢に見るときがある。