蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(24)


第四話 株が当たった話その5

郡是は翌大正5年には100万円近い大もうけをして一挙に頽勢を挽回し、5月には優先株を抹消して資本金が200万円となり、将来の大飛躍が約束されて株価はグングン上がりました。

これはまったく波多野さんの手腕と徳望のしからしむるところ、私の予想はぴたり的中したわけです。

 大正5年3月の郡是株主名簿を見ると、3千余の株主中私は第25位の大株主になっておりました。

といっても私の持ち株はわずか78でしたが、このときの郡是はまだ何鹿郡以外には進出していない時期でして、私以上の24人の株主といえば、波多野さんをはじめ羽室家一党の人々、地方の素封家ぞろいです。

私などとは提灯と吊り鐘、月とスッポンの違いでした。

昨日まで借金取りに悩まされて日本一の貧乏人と思っておった身で、いったいこんなことでよいのだろうか? と私は迷いに迷い、波多野さんのところにお礼かたがた相談に行ったんでした。

すると波多野翁は、ありあわせの紙に「宥座の器」の絵をお描きになりました。

「宥座の器」というのは荀子の「宥座篇」に出ておりますが、魯の国の恒公の廟にあるもので、孔子がこれについて教えを垂れております。しかし波多野翁はおそらくその愛読書の「二宮翁夜話」に出ている記事からこの教えを述べられたんではないかと思っとります。

波多野さんは、私にこうおっしゃいました。

「この器は平生は傾いておる。水を注いで半ばに達すれば正しくまっすぐになる。しかしあおも注いで一杯にすれば覆ってしまう。君も自分の財産との釣り合いを考えてほどほどに株をもっとればよろしい。私などはしょうことなしに今度はぎょうさんの株をもたされて払い込みの準備などあるわけでなく、まったくこまっておる。君もいつ払い込みがあっても構わぬ程度の株をもっとるのでなくてはいけない」