蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(28)


しかし思わぬ副産物もありました。

このとき大勢の芸者を呼んだもんですから、私は急に芸者にもてるようになり、つきまとわれるようになりました。

当時私は三十三ですからまだ若かったし、うかうかするとこの誘惑に負けて父の二の舞になるんではないかと我ながら心配になりました。

次々に宴会に出たり、人を呼んだり呼ばれたり、押しかけ客もあったりして酒に接する機会が非常に多くなったもんですから、私は急に時間と金銭の浪費が恐ろしくなりました。

かねてから何事も波多野翁を目標とし、翁に倣っていけば間違いなしと信じていた私は、翁の信仰するキリスト教に心惹かれておりました。思えば翁が受洗されたのは今の私と同じ三十三の年でした。私もここで入信してしっかり身を固めようと思ってそれから教会通いを始めました。

私は波多野翁から洗礼を受けたいと無理をいうておったんですが、翁は突然大正七年二月二十三日に脳溢血で急逝されたんで、私はその直後の三月十日に丹陽教会の内田正牧師から洗礼を受けました。

ですから私はいわば悪魔よけにキリスト教に入ったといえばいえなくもありません。世間からもそのように見られていたようです。

思えば私は、十二歳のときに母の眼病を観音様に祈ったときから、苦しいときの神頼みさながら、稲荷様、金比羅様、座摩神社、北向きの恵比寿様と、種々雑多な神様、仏様を祈ったもんでした。

そしていずれもそれぞれ奇跡的な感応を受け、「祈らば容れられる」という私の幼稚なおすがり信仰が波多野翁崇拝と結びついて私をキリスト教に行かせたんでした。結局は行くべき時に、行くべきところに行き着いたんです!

これこそは神の摂理でした。

私は、信じることによっていかなる苦痛困難も必ずみなよろこびと感謝に代えてくださる神様のお恵みを思いました。そうして、ますます信仰から信仰へと勉め励み、取るに足らないこの身ながら、いささかでも神のご栄光を顕すことに精進し、神と人への奉仕に努力しようと決意しました。          (第四話 株が当たった話 終)