蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

杉本観音の自転車屋さん


鎌倉ちょっと不思議な物語82回&遥かな昔、遠い所で第21回

肌寒い雨の中を、神中運輸の産廃運搬車がぼろぼろになった自転車を運んでいった。

あれは確か25年前のことだった。2万5千円くらいしたブリジストンの最新型のかっこいいやつを杉本観音下の自転車屋で買ってやったのだが、少年が喜び勇んでどこかに乗って行ったら、いきなり誰かに盗まれてしまって、二度と出てこなかった。

それを知った自転車屋のおじいさんが、
「それはお気の毒だったネ。代わりにこれでも持っていきなされ」
というて譲ってくれたのがその自転車だった。

もとよりオンボロ自転車だったが、以来五年、一〇年、そして25年の歳月が流れ、少年は大きくなってとっくの昔に遠い町に行ってしまったので、もっぱら私が彼の自転車に乗ることになった。

私はいつも雨ざらしのために褐色にさびついたオンボロ車を駆って鎌倉中を疾駆し、いつでもどこでも鍵を掛けずに停めていたのに、今度は誰も盗まないのだった。たった一度だけ一晩放置していた間に消えうせたことがあったが、それは放置自転車狩りに遭ったとみえて東勝寺の脇の市の自転車置き場で見つかった。

おじいさんはその自転車がパンクしたり、ベルが取れたり、チエーンが外れたりするたびに何度も何度も無料で修理してくれ、よほど大きな修理でも200円を超えるお金はびた一文受け取らなかった。私が無理矢理500円玉をそのしわくちゃの手に握らせようとしても断固として拒否したものだった。

いつもきたない作業着を着て、無数の自転車や中古オートバイと油とゴミにまみれ、いつも腰を正確に45度に折ったまま、ビュンビュン車が走り去る道路の傍にしゃがみこんで修理していたおじいさん。
一日で幾らの収入があったか分からないけれど、靴屋のマルチンのごときその質朴で真面目で正直な仕事ぶりはいつも変わらなかった。
ある日のこと、またしても自転車がえんこしたので、私が杉本観音までえんやこら、えんやこらとひっぱっていくと、お目当てのおじいさんの姿はどこにも見当たらなかった。

店の奥から息子さん(といっても4、50代だが)が出てきたので、「おじいさんはどうしたのですか?」と尋ねると、「去年の2月に交通事故に遭って亡くなりました」という返事に、私は絶句した。

自転車を丁寧に診察してくれたその息子さんも、父親に似て質朴で真面目で正直な職人で、「これはすぐには直らないので修理が終ったら私がおたくまで届けます」と約束し、翌日修理の終ったボロボロ車をピカピカに磨いて自動車に乗せて玄関口まで運んでくれた。料金はたったの100円であった。

おじいさんが亡くなってしまったその自転車屋さんは、その息子さんとその息子さんの息子さんの2人が跡を継いで、いつも道路脇の溝の上に腰を下ろして夢中で修理している姿を見かける。

 けれども私の自転車は、今回はもう修理どころではなかった。チエーンが劣化してとろとろになり、走るたびに外れてしまう。いよいよこれで御用済みだと思い切り、ついに涙を呑んで廃車にすることにしたのである。

長い歳月を共にしたおんぼろ自転車を積んだトラックが、雨の和泉橋を右折して走り去るその後姿を、私はしばらく見詰めていた。