蝶人戯画録

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鎌倉文学館の「中原中也展」を見る


鎌倉ちょっと不思議な物語85回

仕事が行き詰ってしまったので、気分転換のために、鎌倉文学館で開催されている中原中也展(「詩に生きて」12月16日まで)に行った。

前回ここで中也の特別展「鎌倉の軌跡」が開催されたのは1998年だからあれからもう9年も経ったことになる。ああ、歳月の流れのなんと迅速無常なることよ!

 中也についてはこの日記でさんざん書いてしまったので、もう付け加えることなどないが、今回もまた彼が27歳の折に山口であつらえた黒いコートとお釜帽子が出品されたのでとても懐かしかった。

あの黒ずくめのダダ・ファッションで、すぐに死んでしまう富永太郎や平成の御世まで長生きした長谷川泰子と連れ立って京都の河原町をランボウとヴェルレーヌ気取りでまるで風来坊のように遊び歩いたのだ。

ところがこのコート、実はもともと他の色だったのを中也が黒に染め直したらしい。また袖の長さが異様に短く、中也はこんなに小男だったのかと改めて思った。

中也は昭和12年1937年10月に30歳の若さで、私が贔屓にしている清川病院(旧鎌倉養生院)で亡くなったが、その直前彼が郷里の母親フクに書いた手紙は、すでに死を予感していたにも関わらず、愛する母親を悲しませないために、「これからの私はの運勢はとても良いそうです」などと空元気を装って綴られており、読むものの涙を誘うが、もしかすると、彼は最後まで自己の再生と復活を基督のやうに信じていたのかもしれない。

 会場には同年9月30日に寿福寺のいまは失われた小さな借家で書かれた中也の絶筆がそっと展示されていた。

      四行詩
おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
爆発する都会の夜々の燈火を後に
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。