蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の女性の物語 第6回


 両親・祖父母のこと

 佐々木家は代々男の子に恵まれず、何代も養子を迎える家系であったようで、曽祖父には女の子もなく、祖父祖母共の両養子であった。

祖父春助は天田郡大原村の生まれ、安産の神大原神社近くの西村家に生まれた。父のいとこ達は村長や郵便局長であった。

私は一度秋の遠足で大原神社へ行った事がある。何廻りもして峠を超えて行った事がある。道々にりんどうが色濃く咲いていたのが忘れられない。とても山深くきたという思いがした。
祖母、婦美は隣村の山家の米屋から来ていたが、49歳でなくなっている。

 明治18年2月22日、父小太郎が綾部町の佐々木家に生まれた時は、何代目かの男子誕生でとても喜ばれた。しかし栄養不良のしわくちゃな赤ん坊だったそうである。

 家は屋号が示すように昔は寺子屋であったそうで、古びた槍も鴨居にあがっていた。桑園もあって養蚕もしていたが、祖父の代に職人をおいて桐下駄の製造をはじめた。

祖父は素人芝居の女形を演ずるのが得意で、女遊びの好きな道楽物であった。それでも父は当時尋常小学校、郡立高等小学校を経て、城丹蚕業学校創立初回の卒業生であるし、父の妹つるは郡立女学校を出ているから、金もうけにも長じていたのであろうか。
どういうわけかヤン茶坊主の次男金三郎叔父だけは、小学校をおえると京の呉服問屋へ奉公に出ている。

♪突然に バンビの親子に 出会いたり
こみちをぬけし 春日参道