蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の女性の物語 第39回 菊人形


遥かな昔、遠い所で第61回

 25年春には長男が綾部幼稚園に入園し、秋には綾部商工会議所主催の「綾部菊人形」が始まった。会場は町はずれにあるので、行き帰りの客で商店街は大賑わいであった。

催し物として「宝塚少女歌劇」の公演もあった。あんなに街中が活気にあふれた事は無い。長女がバレエで出演した事もあり、十年程菊人形も続いたが、時代も流れ移り、風水害後、復興する事も無く終わった。

 追々物価も上がって、売上金の勘定に百円札の束がかさ高くて困ったが、その頃千円札が発行され便利になった。

 26年には長男は小学1年生、次男は2年保育の幼稚園に入園した。
 長男は女の子のように可愛く、どことなく亡き母の面影があった。父はこの子を格別可愛がった。女の子も生まれたので私にかわる愛する対象物も出来、次第にやさしく、おだやかなおじいちゃんに変わり、孫達を方々の旅行にも連れて行ってくれるようになった。

 29年には末の長女も幼稚園に入園、私も育友会、参観と3人分掛けもちで忙しく、夫も商店街や自治会の仕事に追われるようになった。

 丹陽教会も戦後の基督教ブーム到来で信者も増え、父は京都府下の信徒会とか、「ギデオン」という全国的な実業家の信徒の集まりにも参加して活躍、小康状態の継母をも同伴するようになった。

村雨は 淋しきものよ 身にしみて
 秋の草花 色もすがれぬ  愛子

実らねど  なんてんの葉も  あかろみて 愛子