蝶人戯画録

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吉本隆明、梅原猛、中沢新一著「日本人は思想したか」を読む


照る日曇る日第91回

梅原猛吉本隆明中沢新一の新旧思想家による日本思想史の大総括書である。今から10年以上前の対談であるが、いま読んでも随所に斬新な知見がちりばめられており、再読三読の価値がある。

例えば次のような中沢などの指摘があって興味深い。
 
太閤秀吉の刀狩と喧嘩停止令が出されたために、平和な江戸時代になって博物学と物産、自然と性愛に対する興味と好奇心が高まり、その結果喜多川歌麿は当初の自然画から性愛画へと進み、西鶴の遊郭色道文学が流行し、本居宣長の性愛色道肯定の源氏物語論などが登場した。源氏物語とは、あるいは文学とは、つまりは「もものあわれ」なのだ。

また梅原は「古事記」は人麻呂によって書かれた歌物語であると断じる。「竹取物語」は天武帝時代の権力者へのカリカチュア、「万葉集」は柿本人麻呂や大伴氏への、「伊勢物語」は藤原氏に弾圧された在原業平への、「源氏物語」は源氏への、「平家物語」は平氏への鎮魂歌でありながら法然浄土教の宣伝の書であり、「古今集」は政治的生命を絶たれた紀氏の文学者独立宣言の書である。

吉本は「源氏物語」が日本の空間的な四季観を初めて確立したといい、中沢は反道長派の「枕草子」だけがこの空間化に対抗し反発したという。吉本は「新古今集」が古典的和歌リズムの絶頂と崩壊の始まりと見る。そして連歌だけは古今的で厳格な宇宙観、論理構造を受けついだとされる。

次は音楽と宗教についてである。

空也と一遍は踊る聖だった。行脚と踊りのダンスミュージックが日本芸能の発端としての縄文的&ディオニソス的音楽芸術となり、西行、芭蕉、山頭火あるいは近世の毛坊主たちによって大衆化されて、現代のストリートミュージックやフォークやロックに続いている。とこれは私の勝手な追加。

新宿角筈の地名は十二社の裏の熊野神社が毛坊主たち(浄土真宗などの信者で半僧半俗の有髪の人)の集落で、彼らが手にした「鹿の角の付いた杖」から来ていると中沢は言う。空也像もこの角筈を手に持っているが杖の脇には瓢箪がぶら下がっており、柳田國男はこの瓢箪は楽器だと書いている。

毛坊主たちは、近世のアホダラ教のチョボクレにみられるように、いつもパカポコパカポコお経をやっていた。かつて比叡山では声明をメロデイで歌っていたが、浄土宗の毛坊主たちのアホダラ教の音楽も基本はリズムである。

西欧のプロテスタントがキリスト教から美術や装飾を取り去ったためにバッハの宗教音楽のようなドイツ音楽が本格的に発展したように、仏教から美術と装飾を否定した浄土宗から、わが国の固有の音楽と文学が生まれた。(親鸞景教の僧侶が漢訳したマタイ伝を読んでいたそうだが、もちろん浄土真宗=キリスト教ではない。表向きは一神教に見える浄土真宗も実際は選択的であり、いわば必修的な西洋一神教とは本来的に違う)

「新古集」の古典的な調和の美学は、中世の平家物語太平記の音楽的文学、戦う武士を疾駆させる馬の蹄の跳躍の音、ギャロップのリズムによって置き換えられる。西方極楽浄土を揺るがす悪党たちの全身的破壊的ゲリラミュージックが日本の芸術に縄文的生命を注ぎ込んだのである。

そして結論。

人間と自然と神が三位一体で密接不可分であるというオリシア=基督教のコスモス思想はキリスト教内部のグノーシス派やマルチンルター、その後のヘーゲル実存主義などによって崩壊し、予定調和的コスモスから疎外された個人と現代社会は孤独なままで漂流している。

その現代人と現代社会の「病気」を超克するには、一方では縄文、アイヌなど原始的な生命力の掘り起こしと同時に、革命的な科学技術の登場が必要である、と吉本は説くが、具体的な手がかりがどこかに転がっているわけではない。

ハイイメージ論以降の吉本の唯一の生産的な仕事は、近代詩の中心価値は比喩であり、直喩より隠喩を上手に駆使している詩のほうが文学的に上位にあると説く「詩学叙説」くらいのものではないだろうか。この対談においても発言内容、頻度ともに他の2人に力負けしているのは昔からの一ファンとして歯がゆい限りである。けれども、考えてみれば現代のアポリアについて白黒いずれか2分法の浅はかな回答を拙速に行なうことが優れた思想家の使命ではない。とすれば吉本氏はまことに賢明な不可知論者という道を選んだというべきだろう。

いずれにしても私は本書のタイトルではないがまったく思想などしないでただ生きている人間なので、激しく思想しているこの三人に大いなる知的刺激を受けた次第である。


空に鳥万象すべて不可知なり 亡羊