蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

五味文彦・本郷和人編現代語訳「吾妻鏡」第3巻を読んで その1


照る日曇る日第148回&鎌倉ちょっと不思議な物語142回

7月下旬に発注された賃労働が本日午前にやっと終了。午後3時から30分間の由比ガ浜海水浴を楽しむ。今日は大潮であった。昨日より波風少ないが、なぜか遊泳注意の黄色い旗が翩翻とひるがえっていた。

この頃は愛用のデジカメは海には持っていかないことにしている。細かな砂塵がレンズというよりCCDに付着して画面を汚すからだ。修理はこれでもう4回目になる。機種は富士のファインピクスだがこの会社とこのFX-F30という機種に構造的な欠陥があるのだろうか?

それはさておき、源頼朝と政子の長女大姫と義経の妾、静は史上稀に見る悲劇の女性である。

木曽義仲の長男義高と政略結婚させられた大姫は、にもかかわらず夫を愛するようになる。ところが義仲が京から追われるように放逐され、頼朝の子範頼と義経の連合軍によって一敗地にまみれ、寿永3年1184年に近江の粟津で殺されると日本のロメオとジュリエットの運命は一変する。

政子の懇望むなしく義高は冷酷非情の男頼朝によって暗殺され、これが愛娘の生涯癒えないトラウマとなった。あまつさえ頼朝は大姫を京の後鳥羽天皇の妃として入内させようとはかるが、このことがますます彼女の心の病を亢進させる原因となった。

大姫はその後13年間生きたが心はたえず死んだ恋人の元にあり、恨みは暗殺者頼朝の胸に永久に刻まれた。

頼朝と政子はおのが政治的野心愛する娘の生きがいを奪ったことを後悔し、毎晩杉本観音から巡礼古道を通って逗子の岩殿寺までお百度参りを行なって回復を祈ったが、建久9年1197年7月14日、大姫は二十歳の若さではかなくもこの世を去った。

巡礼古道は堤一族の開発によって山もろとも鎌倉霊園に造成されてしまったが、岩殿寺は健在である。


♪健ちゃんが卑猥といいしモミジアオイ臆面もなく赤く咲きけり