蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

父の言葉『思い出の記』第二回


ある丹波の家族の物語 その3 ♪遥かな昔、遠い所で第76回

 私は、子供のころから今日まで、内向的で人見知りする性で、しばしば自己嫌悪におちいることがあります。そして早くから罪ということを意識していました。

 どの兄も私を無理に教会に連れて行くことをしませんでした。私自身、このような罪ある者は教会に行く資格なしと、愚かにも敬して遠ざかっていました。

 旧制商業高校を出ると兄の商売を手伝って、ますます礼拝出席がおろそかになりました。その間にあって、今に至るまで頭に焼きつき忘れ得ないのは、「汝らのうち罪なき者まづ石を投げうて」のみことばです。

このみことばに就いて評論家、亀井勝一郎氏は「私は感動なくしてこの一節を読むことはできません。その背後にある大沈黙が私を感動させるのです。深い叡智と偉大な愛情のごとき沈黙に感動します。」と書いておられますが、私はわが意を得たり、とうれしく思いました。

が、次の文章で「キリスト信者の最大の嫌みはその罪悪感であります。彼らは自分はこのような苦しみを経験した。このような罪を犯したと罪の意識を忘れぬようにし、懺悔こそ神に愛される道であると安心して、罪の意識の深さを誇るのは傲慢である。」とあります。

これには衝撃を受けました。氏の説が全部正しいとは思いませんが、大いに反省させられました。

♪水に漬け叩きつけたるわがパソコン 茫洋