蝶人戯画録

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黒澤明の「天国と地獄」を視聴する


照る日曇る日第180回

「悪い奴ほどよく眠る」の3年後、黒澤はまたしても悪の問題を取り上げた。「天国と地獄」である。

丘の上の天国には、成功した資産家がたのしげに暮しており、日の当たらないその麓では、貧民たちの地獄が横たわっている。日常をあくせくと生きるだけの庶民の中には、豊かな富を持つ資産家に強い憧れを懐くと同時に、激しい嫉妬を覚える者もいる。

「ちくしょう、あいつらだけがどうしてあんなに安気にやっているんだ。おらっちは豚のように生きるしかすべがないのに」
隣の芝生は輝くばかりの緑に見える。その住人の心の輝きは芝生の色とは無関係であるにもかかわらず。

けれども、自他の貧富の差という一面的な物差しを、自他の存在価値すべてにまで拡大して解釈するという妄想にとらえられ、あまつさえその天秤の均衡を自分に優位な水準にまで実力で奪還しようする衝動につき動かされる人たちは、いまもむかしも雨後の筍のごとく繁殖している。

どうしても幸福になれないと知った者は、幸福な者をねたむだけでは我慢できず、自分と同じ不幸の仲間に引きずり降ろしてともに泥沼に這いずりまわることをこいねがう。この映画の誘拐犯人もそういう種類の人物なのだろう。悪知恵を巡らせ、悩み多き三船取締役をたいそう苦しめるが、もっと知恵のある正義の人たちが大活躍して、「やはり正義は悪に勝たないわけにはいかない」てなところを黒澤流に見せつける。前作の「悪い奴ほどよく眠る」の落とし前をつけた格好になっている。

そんな具合でこの犯罪の輪郭は頭の中では理解できる。また、かっこいい山崎努犯人がシューベルトの鱒の旋律とともに登場するシーンや、疾走する新幹線、鎌倉の腰越港、江ノ電鎌倉高校付近、横浜黄金町の魔窟などのロケシーンも迫力があるし、全編白黒なのにたった1か所だけのカラー場面、そして鮮烈な光と影の対比などなど、見どころは数多いし第1級のサスペンスドラマであることも否定できない。

大詰めのドン・ジョバンニの地獄落ちを思わせる三船山崎対決シーンも大迫力だ。にもかかわらず、この長い大捕物を見終わったあとも、いったどうしてこの憎悪に満ちた白哲のインターン青年が少年を誘拐し、3000万を強奪せずにはいられなかったのかはてんでわからない。犯行動機の必然性がまるで描かれていないからである。黒澤観念論映画にありがちな欠陥だろう。



♪頭から雌に食らわる幸せかな 茫洋