蝶人戯画録

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メンズ漫録その5 天下分け目の洋服論争


ふあっちょん幻論第28回

1868年に明治維新で、封建国家日本はいちおう近代国家に生まれ変わった。

短時間にこの国を文明開化するためには、とりあえず欧米をコピーしなければならない。憲法はドイツ、軍隊は英国、財政とマナーはフランス、そして洋服は英国、というパッチワーク状態の選択だった。しかしそれらが簡単に決まったわけではない。洋装ついても保守和服派と開明洋服派のするどい対立があった。明治4年初夏、江戸城西の丸の大広間で行われた和洋大論争は有名である。

議長は三条実美。ハイカラ党の代表選手は土佐藩出身の後藤象二郎だったが、反対する者が続出した。大もめにもめたそのとき、外務卿の副島種臣が、中国の戦国時代の趙の武霊王が、胡の国を制するために当の胡の服を着て戦に大勝した故事を持ち出した。

当時胡では、乗馬に便利な胡服を着用して騎乗し連戦連勝していたので、その便利な戦闘服を我田引水して戦場に臨み、ついに敵国を撃破することができたというのであるが、西欧のスーツの起源にも共通するエピソードを薩摩の西郷が支持したために衆議は一決。明治4年9月4日に天皇の洋服勅語「服制改めの令」が発布されてついに洋装が正装に決まったのである。

翌5年に軍服が洋装となり、警察官、鉄道職員も洋装に改まった。しかし興味深いことに、この洋装化にもっとも大きく貢献した西郷であるが、明治10年の西南戦争では西郷軍はもっぱら袴姿で洋装の官軍と戦っている。

君は岳私は大天使ガブリエル二人でなりきる「風のガーデン」 茫洋
お父さんがく君のがくは八ヶ岳の岳だよと息子いい