蝶人戯画録

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岡井隆著「鴎外・茂吉・杢太郎―「テエベス百門」の夕映え」を読んで


照る日曇る日第248回

 歌人であり医師でもある著者が、同じく歌人であり医師でもあった三人の文人について悠揚迫らず語り来たり、去る。これこそ私が待ち望んでいた玄人の文学書である。

副題の「テエベス百門」というのはかつて古代文化が栄え四通八達の通用門を誇っていたエジプトの首都テーベの町のように、学問、芸術、有職故実の全般にわたっていくところ可ならざるなしの泰斗を指す。その森鴎外を筆頭に、たしかにこの三名は医学をはじめ小説、詩歌、演劇、美学などをそれぞれに極めたその道の達人であった。

大多数まが事にのみ起立する会議の場(には)に唯列び居り 鴎外

十月は枯草の香をかぎつつもチロルを越えてイタリヤに入る 杢太郎

あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨 茂吉

著者はこの三人の先達が歩んだ文学的な軌跡と実人生の歩みを複雑に絡まった糸を辛抱強く丁寧にほぐすように、また三者三様の道行を舐めるように味読しながら、楽しげにあちこち道草しながらゆるゆる追体験していく。

そしてその背後から、歌に生き、恋に生きた三人の、十分に目の詰んだしたたかな生が、彼らの執拗な追跡者である著者の姿と合わせた四つのシルエットとなって、まるで影法師のようにゆらゆらと立ち上がる。その瞬間こそが、この本を読む醍醐味なのだ。

日清、日露の戦争に勝利して先進国の仲間入りを果たし、近代化の道を滑走しはじめたわが国の歌壇と文学界は、大正三年の第一次大戦勃発によって微妙にその主調音と色調を変える。浪漫主義の後退と自然主義の躍進である。

鴎外の周辺では晶子、鉄幹などと始めた「明星」の衰微と入れ替わりに、石川啄木、平野万里、木下杢太郎たちの「スバル」、北原白秋、杢太郎たちの「パンの会」、正岡子規門下の伊藤左千夫、斉藤茂吉などの「アララギ」が台頭してくる。

品川の波涛を望む鴎外の観潮楼にはこれら新旧両派の名だたる歌人たちが一堂に集まり、鴎外は「新しい抒情詩」の確立(国風新興)を夢見たが、それを果たすことなく有名な「我百首」を遺して歌壇に別れを告げ、晩年の史伝小説の世界に入るのだが、まさにこのとき「テエベス百門の夕映え」が文学史の高空に煌めくのだ。

著者が「あとがき」で告白するように、本書の本当の主役は、この三人が生きた明治末期から大正の初期という「時代」そのものなのかも知れない。

白人の男を屠ふり金髪の女を犯さんむとして発作に襲わる 茫洋
わが狭き心の谷間の奥底でかの臓物はぶるぶる震え
あら懐かしや狭心症の胸騒ぎ4月8日4時30分
御馴染みの狭心症の胸騒ぎ4月8日の4時半に起こる
父上と母上より賜りしわが心の臓激しく震う