蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

葛原岡を訪ねて


鎌倉ちょっと不思議な物語第174回

葛原岡神社の祭神は後醍醐天皇の側近、日野俊基卿です。日野家は先祖代々文章博士の家柄で俊基も当代きってのインテリ公家だったそうです。

俊基は同じ日野家の資朝卿とともに後醍醐天皇を中心とした討幕計画を進めます。修験者に扮装して紀伊の国に赴き楠正成などの武将の参画を得ようとしきりに活動していたのですが、密告により幕府に露見し、京都六波羅にとらわれの身となります。世に正中の変と称される事件です。

許された俊基はふたたび討幕計画を進めますが、これまた幕府の知るところとなり、元弘元年1331年僧文観、円観とともに捕われ(元弘の変)て鎌倉に護送され、後醍醐天皇隠岐へ流されてしまいます。

そしてこの年の6月3日、俊基は当時刑場であったここ葛原が岡において、

秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらむ
古来一句 無死無生 万里雲尽 長江水清

の辞世を残し、恨みを呑んで処刑されました。

以上は「葛原岡神社由緒」からの自由な引用ですが、この地はきっと秋になれば葛の花が咲き誇りカラスアゲハが乱舞したのではないでしょうか。おそらく鎌倉時代の「異境」として商取引や芸能、そして処刑が行われたこの山の近辺には、いつ訪れてもどこか無常の風が吹き募っているように感じられます。

頂を一気に駆け下りれば、そこは新田義貞がしゃにむに攻めた化粧坂です。義貞はこの狭隘な坂道を突破することができず、遠く迂回して稲村ケ崎から鎌倉の市内に乱入したのでした。

♪三十六の燃ゆる瞳に見つめられ二十の春にたちかえりけり 茫洋