蝶人戯画録

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ネクタイの歴史

ふぁっちょん幻論 第50回

ネクタイは、17世紀にクロアチアの兵士が布を首に巻いたのが発祥だといわれています。
幅広スカーフ状の初期のものは、まずフランスのルイ14世が取り入れて欧米で流行したようです。これを日本にもたらしたのは幕末の1851年に遭難して米船に救助されたジョン万次郎。かれが帰国した際に持ち込んだとされています。

維新後の明治4年、前にも述べたように、政府は洋装派が和装派に勝利し、その結果ネクタイも市民権を獲得することになりました。1884年に東京の帽子商小山梅吉が古着市場で購入したネクタイを手本に帯などから蝶ネクタイを製造した国産ネクタイの第1号だといわれています。

その後「結び下げ」といわれる縦長型も日本に紹介され、これが大正時代に主流となり、私の祖父や親戚の人たちも京都西陣でビジネスを成功させましたが、戦時中は「敵性衣装」として忌避され、例の不細工な国民服が推奨されるなかで、1944年にはついに販売禁止となってしまうのです。

しかし戦後になるとネクタイはたちまち復活を遂げ、ワイシャツとのコンビで高度成長期には大きく発展しました。振り返れば昭和30年代まではわが国には冷房というものが無く、夏場のビジネスマンは非常に苦しい思いを強いられたのですが、61年に石津謙介氏が帝人から半袖のホンコンシャツを発売してこれとの組み合わせでようやく一息ついたのでした。

しかしそれ以降2回の石油ショックを経てネクタイの需要は下降状態に入ります。業界はひも状の「付けネクタイ」などを開発して省エネルックを演出しましたが、防戦一方となり、90年代にはカジュアルフライデーの登場でさらに打撃を蒙りました。

03年のネクタイ国内需要は4400万本とピーク時に比べておよそ2割の減少となり、量販店は中国製が浸透し、西陣、八王子、山梨県の織物産地は苦境に追い込まれています。05年6月に国産比率が8割から3割になった段階で、ネクタイ業界はクールビズなど上からのアンチネクタイ運動に対して反対する声明を出しましたが、頽勢を挽回するのは難しそうです。

 ぐあんばれネクタイ!


♪太平洋の彼方から吹く豚の毒人への恨みいまこそ晴らさむ 茫洋