蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

さよならレーニン、こんにちはスウィトナー


闇にまぎれて bowyow cine-archives vol. 1

グッバイ、レーニン!」という02年にドイツで製作された映画を、衛星放送の録画で観ました。

なんでもドイツで大ヒットしたそうです。これは89年にベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一する前後の物語なのでなにからなにまで違う2つの国がいっきに融合して未曽有の大混乱に遭遇したこの国の人たちには身につまされる内容だったのでしょう。

主人公は当時の東ドイツに住む家族ですが、父親が西に脱出して母親と2人の子供が出国してくるのを待っていたのだけれど、結局母親は出ない。「父親が西側の女と浮気して逃亡した」と子供たちには嘘をつき、ごりごりの社会主義者になってそれなりに充実した生活を営んでいたところで突如ベルリンの壁が崩壊するのです。

たまたま反ホーネッカー政権のデモに参加していた息子の目の前で、母親は心筋梗塞で倒れてしまい、母国の崩壊を知らないまま植物人間になっています。やがて彼女は意識を回復するのですが、息子は彼女にショックを与えることをおそれて真実を隠したまま東ドイツがずっと継続しているかのような偽装をする。
東独のテレビ放送をでっちあげたり窓の外のコカコーラの広告を隠したりと懸命の偽装を続けた挙句に、母親は偉大なるドイツ民主主義共和国の未来と栄光を確信しながら笑顔で死んでいく、というまあ感動の物語です。

下半身を打ち砕かれたレーニンの石像をヘリコプターが運んでいくのを呆然として見送る母親の表情が印象的でしたが、最近のドイツでは、かつての社会主義国やレーニン主義に郷愁や共感を覚える人が増えてきたのでしょうか。だからこういう懐メロ映画がヒットしたのかなあ、となにやら昔の亡霊に出逢った浦島太郎のような不思議な思いでこれを見終わったのですが、ふと思いついて同じ旧東ドイツで長く指揮者を続けていたオットマール・スウィトナーのドキュメンタリーを見てみました。

「父の音楽」と題するこの音楽ドキュメンタリーは、2007年にスウィトナーの息子イゴール・ハイトマンが製作したテレビ番組です。1922年インスブルック生まれのスウィトナーは今年87歳になりますが、ベルリンの壁崩壊の翌年に指揮者生活から引退して、いまは悠々自適の晩年を送っているようです。

当初はこの突然の引退は、政治的理由ではなかかと憂慮され、同じ東独の指揮者で祖国崩壊のショックのあまり自殺したケーゲルの二の舞になるのではと案じる向きもいたようですが、パーキンソン病にかかって指揮棒が震えるようになったのが早すぎるリタイアーの本当の原因だったようです。

私はこの番組ではじめて知ったのですが、スウィトナーは東の正妻と西の恋人とその息子ハイトマンの間を数十年の長きにわたって行き来していたという。番組の終わりには息子の願いにこたえて老いたる指揮者が懐かしのベルリン・シュターツカペレを指揮してモーツアルト変ホ長調の交響曲とシュトラウスのポルカ「とんぼ」を演奏するという涙なくして見られない情景も出てきます。 

N響との間ではその大半が退屈極まりなき凡演の山を築いたスウィトナーでしたが、ベルリンとドレスデンの両シュターツカペレを指揮したモーツアルトブラームスのなかには文字通り火を吐くような生命力に満ちた熱演もたくさんありました。あれらはボンガルツ、アーベントロートコンヴィチュニー、ゲーゲル、ザンデルリングなどの系譜にもつながる旧東独の音楽精神が生んだ偉大なるレーニン的な演奏?だったのかもしれません。

連休の朝から楓を切っている近所の主婦を激しく憎む 茫洋
青々と茂りし楓の木と枝を大刀洗川にそのまま捨てたり