蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

葉山「日影茶屋」と新宿「大戸屋」のランチを比較して飲食業のサービ


バガテルop100

雨の金曜日、横須賀の素晴らしい歯医者さんで定期健診をして頂いてから葉山海岸沿いに建つ日影茶屋で遅めのランチをとりました。

ここはその昔伊藤野枝さんに恋人を奪われた神近市子さんが、恋に狂って大杉栄氏を刺した現場として有名ですが、当時は現在のような料亭ではなく、日本旅館として営業していたようです。
 
私が案内されたのは新館でしたが、大杉氏が刺されたのはその隣の旧館の2階だといいます。きっと恋びと同士がよろしくやっている最中にドスを呑んだ女一匹が殴り込みをかけたのでしょう。恋などと言うとなにやら優雅に聞こえますが、恋は気狂いと病気に紙一重ですから、すぐに刃傷沙汰になってしまうのです。くわばら、くわばら。

日影茶屋には眺めの良い庭があり、品のよさ気な女の店員が大勢いますが、全員きれいな着物をまとっています。ランセットはいちばん安いのが3千5、6百円くらいの弁当なので、「ルンペンプロレタリアートには少し高いなあ」と思いつつそれを頼みました。
さすがに有名なお店らしく冷たい茶碗蒸しなど結構なお味です。四点くらいの各種お惣菜をどんどんかたづけ、そろそろ食べ終わろうかという頃に、なぜかお椀が出ていないことに気付きました。

きれいなオベベをお召しになったお嬢さんに「お吸い物はついていないの」と尋ねるとさっと顔色を変えて「大変申し訳ございません。すぐにお持ちします」と答えてから調理場に飛んで行きました。ど忘れしていたのですね。上司の女将さんもすぐにやってきて丁重に詫びるのですが、とかく食い物の恨みは恐ろしい。「お前たちはいったいどういう仕事をしているのだ、サービスをどういうものだと心得ているのだ」とせっかくの料理の味はもはやけし飛んで「後味が悪い」というのはこういうことかと思いいたった次第でした。

そこで思い出したのは、新宿スバルビル内の「大戸屋」のランチのことでした。あちらの3千何00円に比べてこちらはたったの620円。味も格式も違います。しかしここ大戸屋では、少なくとも日影茶屋のように不愉快な目に遭ったことなぞ一度もありません。

レジに寄って最初にお金を払うと、レジの担当者が、「どこでもお好きなところにお座りください」と言います。それで空いている座席を探して勝手にどこかに座っていると、すぐさま店員が水を持ってきます。(席まで案内されることもありますが)
さらにしばらく待っていると、頼んだメニューをたがえずに店員が席まで持ってきます。
どんなに混んでいてもこのやり方に破綻がない。お客の顔と席とメニューをどのようにお互いに確認しているのか不可思議です。

さらに驚くべきことは、ランチが終わりに近づいたちょうどその頃に、別の店員がお茶を持ってくるのです。最近は水だけで済ます店が多いなか、これはちょっとうれしいサービスです。味はそりゃあ一流料亭のそれではありませんが、ここの調理の基本は「普通の家庭料理」なのでいわば希少価値があります。喫煙客が猛毒を流している居酒屋や普通のレストランよりも清潔でおいしい。とくに野菜が新鮮です。

以上長々と書きましたが、名門日影茶屋の、飲食の基本が欠落している豪華ランチと安近単の大戸屋のサービスと、いったいどちらが上かは言うまでもないでしょう。それにそもそも日影茶屋の仲居さんには、大戸屋の基本動作さえ実行できないでしょう。
いつでもおいしく感じがよく、「また来よう」と素直に思えるカジュアル店と、「こんなとこ2度と来てやるものか」と思ってしまう名門店と、その星の差はあまりにも大きいと言わざるを得ません。

♪グルメなどと偉そうにほざくなかれ当り前の料理を当たり前に出せ 茫洋