蝶人戯画録

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「伝北条時政邸跡」を訪ねて


鎌倉ちょっと不思議な物語第187回

北条時政は政子の父で頼朝の義父。鎌倉幕府の実権を源氏から北条氏へと簒奪するために全知全能の限りを尽くした知恵者です。彼は頼朝の子頼家の乳母父となって権勢を振るった比企能員を自邸に呼び出して暗殺したと「吾妻鏡」に出ていますが、その現場がここ名越にある名越御館であるとされ、名越殿とも称されました。

昭和15年に八幡義生市がこの山麓の五〇〇坪くらいの平坦地を時政邸と断じて以来、そのように信じられており、昭和二八年にこの場所から中国宋代から元代にかけての青磁鉢三口が出土(現在は東京国立博物館に所蔵されて重要文化財に指定されています)したので、ますますその確信が強められたのですが、ところがどっこい、平成二〇年つまり昨二〇〇八年八月から一一月にかけて行われた発掘調査では、意外なことに北条時政の生きた時代にさかのぼる遺構や遺物がまったく発見されず、鎌倉時代後期から室町時代のものが出土したので、遺跡としての名称は「大町釈迦堂口遺跡」に改められることになったのです。

しかしこの付近にはやぐら四〇基があるので、当時ここはおそらく寺院であったと可能性が指摘されています。そんな由緒あるこの場所は、かなり長くあるドイツ人が住んでいたのですが、その後ロッキード事件で有名な国際興業小佐野賢治氏の別荘となっていました。小佐野氏は東京地検と戦いながら、きっと剛腕北条時政に思いを致しつつこの地に籠っていたに違いありません。りました。

以上「鎌倉ガイド協会」の資料を参考に記しました。


♪腹黒き輩は腹黒き友を知る時政邸に鶯鳴きたり 茫洋