蝶人戯画録

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「ウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の芸術第2巻」を聴いて


♪音楽千夜一夜第70回

 タワーレコードと東京電化株式会社がコラボではなく、コラボラシオンして特別企画された上記のCDを8枚組2980円でゲットしました。1枚当たり300円超というお値段は、このご時勢ではなかなかグッドではないでしょうか。

 曲目はモーツアルトハイドンセットを中心にハイドンシューベルト弦楽四重奏曲、さらにペーターシュミドールが加わったモーツアルトブラームスのクラリネット5重奏曲までついてくるというワクワクのラインアップです。

ウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団というのは、ウイーンフィルのコンサートマスターであるライナー・キュッヒルが中心になって第2バイオリンにエクハルト・ザイフェルト、ヴィオラにハインツ・ゴル、チエロにフランツ・バルトロメイというウイーンフィルのメンバーで結成された構成された生粋のウイーンの団体で、どの曲を聴いてもさながら練絹のように柔和なハーモニーを奏でます。

シューベルトの「死と乙女」の冒頭をこれほど耳に優しく響かせた演奏はかつてありませんでした。同じウイーンでもアルベンベルクなどとは月とすっぽん、雲泥の差です。
私はシューベルトの作品の中で唯一嫌いなのがこの曲で、どこのカルテットで聴いても途中で放り出していたのですが、ウイーン・ムジークフェラインの演奏はおしまいまでBGMのように聴きおおせることができたのでした。

しかしどの曲でもこのようにはじめは処女の如く、終りも処女のごとき真綿で首を絞めるような演奏でよろしいのかといえば、たぶんよろしくないんでしょう。異論のあるかたも大勢いらっしゃるでしょうが、自分的には、もっと曲の神髄に食うか食われるか、生きるか死ぬかと切り込まないと音楽の本来としてたぶんだめなのでしょう。

同じウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団という名を戴いていても、その前身であるかつてのシュナイダーハン弦楽四重奏団やバリリ弦楽四重奏団との違いはそのくらいつきの甘さ、生ぬるさにあるのでしょう。
ああ、バリリ弦楽四重奏団の素晴らしさといったら! 彼らのモノラルのLPレコードを、このデジタル最新録音とどうか聴きくらべてみてください。

同じウイーンフィルのコンサートマスターをやっていたヴァルナー・ヒンクが率いるウイーン弦楽四重奏団も似たようなもので、この2つの団体がどうしてこの程度の演奏しかできないのかということは、ヒンクの間抜けな馬面やキュッヒルの計算高い銀行員のような顔を見ているとなんだかわかるような気がします。

思えば彼らの直属の上司であった偉大なるゲルハルト・ヘッツエルが、1992年7月29日に迂闊にもザルツブルグ近郊のザンクト・グルゲンで転落死して以来、日本国の自民党と同様、もはや回復不能なウイーンフィルのゆるやかな沈滞がはじまったのです。

ベームバーンスタインとウイーンフィルの見事な演奏、黄金時代のウイーンフィルをその両手で支えていたのは、このユーゴスラビア生まれの第一コンサートマスターであったことは、こんにち彼の後継者たちの凡庸な演奏を聴けば聴くほど明らかになりつつあります。


墜ちながら手をアルプスに触れざりしヴァイオリニストは哀れなるかな 茫洋