蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

「谷川雁セレクション2・原点の幻視者」を読みながら


照る日曇る日第279回

平成天皇が百済の武寧王の子孫なら、己の出自を高麗人と宣言してはばからない南の孤高の詩人谷川雁が、これまた北の孤高の思想家宮沢賢治に透視していたもの、それは「倭」の鎮西弓張月の巨大な孤の「極北」でした。

倭を形成していた列島の縄文人の子孫たちは、朝鮮半島からやってきた鉄器を携えた弥生人によって圧伏され、半島からの新興渡来人たちは、彼らが武力で追いやった西南の琉球民族と東北のアイヌ民族と激しく抗争しながら、7世紀中葉にようやく天皇制を装備したヤマト国家を誕生させます。歴史の舞台に初めて登場した日本です。

以来14世紀の歳月を閲して、わが神国ニッポンチャチャチャは、なかなかにまつろわぬ2つの民族を飴と鞭の両面作戦で完膚なきまでに制覇したかに見えましたが、地下茎の陰微な反乱は絶えることなく継続され、南では沖縄独立運動が、北では賢治ゆかりの東北精神独立運動がつづけられているのです。

呪力を持つ縄文人であり、かつまたランボーのごとき近代の「見者」でもあった宮沢賢治は、その短い生涯にわたってその全著作を挙げて、伽藍のような巨大なドームを建設し、イーハトーブという名の聖地を立ち上げようとしました。

礼拝堂の天井には「銀河鉄道の夜」が輝き、床面は「ポラーノの広場」、壁面には「風の又三郎」「グスコーブドリの伝記」が置かれ、柱には「花鳥童話集」、その他「古いみちのくの断片」をちりばめた数々の小編が回廊までつづくその巨大なフラードームは、ガウディがバルセロナに建てた未完の聖家族贖罪教会大聖堂に少し似ています。

賢治もまたこれらの作品の完成を期さず、まるでグレン・グールドの「ゴルドベルク変奏曲」の演奏のように、あるいはまたメビウスの輪のように巡りめぐる精神の永劫回帰運動をそのコンセプトと定めたからです。

賢治は、この己が夢見た円天井の広大な空間に、芸術と科学を愛する少年少女を招きいれようとしました。そしてこの賢治の発想こそが、来るべき「単一世界権力」に対して無謀にもゲリラ的に対抗しようとする谷川雁の最終戦争、すなわち賢治童話を素材として使った「人体交響劇」の全面展開へとつながっていったのです。「粛々たる虚無の声が渡る」なかを……。


♪いとやすく大いなる便をひりだして偉大な事業なし終えたるがごとし 茫洋