蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

リヴァイアサンの蜂起


バガテルop109

きのう由比ガ浜の海で亡くなられた2人の若者に深く哀悼の意を表します。

今日その同じ海で、泳いできました。監視員が2段固めのシフトで厳重に警戒し、「膝の高さまでのところで泳いでください」と声をからして叫び、沖に出る人たちに対しては全力で駆けつけて注意していました。

海岸は遊泳注意になっていましたが、波はかなり高く、ゆっくり泳ぐことなどとうていできません。昨日は今日と同じような波でしたが、元気な4人の若者が、海岸からわずか15メートルのところで溺れてしまったのです。

この海岸は、逗子と違って浜から5メートル付近が少し深くなっており、それより先に進むと、沖の潮目の影響で日によっては左右に激しく流されてしまいます。
海の中を流れる川の勢いが水面下では激しいのです。昨日の若者も、岸に帰ろうとしてかえって沖に流されてしまったところを高波で覆われたのではないでしょうか。

私もちょうど彼らの年頃に千葉の館山海岸で調子に乗って沖に出過ぎて、いくら泳いでも岸に辿りつけなくなり、潮の流れ、海の勢いとはこんなものかと怖い思いをしたことがあります。

 海に潮流があるとすれば、陸にも激しい流れがあります。有権者が政治の流れを変えようとする強烈な力、もはや人知を超え、思惑を超え、想像を超えた特定の方向への奔流です。

この流れがどのようにして起こったのかをのちの人々はもっともらしく分析することでしょうが、そうした要素還元主義者のこざかしい屁理屈とは無関係にそれはたったいま滔々と流れています。

自公が敗北して民主が勝利するという表層の政治的変化ではなく、その深部でうごめいている激流に注目しましょう。私たちは理非曲直を超越して、政権交代という渦に飲まれ、上流から下流へと激しく流されているのです。

これが大衆の意思です。これが自然の脅威よりもある意味では恐ろしい時代を動かす民意というものであることを、私たちは身をもって体感していることを末永く記憶しておきましょう。


♪かねてよりのわれの望みを叶えるはわれならぬリヴァイアサンの蜂起なるか 茫洋