蝶人戯画録

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ロベルト・アバド指揮の「エルミオーネ」を視聴する


♪音楽千夜一夜第78回


昨年の8月にイタリアのペーザロで開催されたロッシーニ・オペラフェスティバルで上演された「エルミオーネ」を衛星放送の収録で鑑賞しました。

演奏はロベルト・アバド指揮のボローニャ市立歌劇場管弦楽団、美女ぞろいのプラハ合唱団、演出がダニエレ・アバドという組み合わせです。
ダニエレはクラウディオ・アバドの息子、ロベルトは甥。道理で指揮者の顔はなんとなくおじさんに似ていますが、演出はまずまずの出来だとしても、指揮のアバドはおじさんほどの冴えはありませんでした。歌手の出来もまずまずでした。

この作品はラシーヌの戯曲「アンドロマック」にもとづいていますが、そのもとになっているのは皆様よくご存じのトロイ戦争の後日談。トロイの木馬の詭計で敗れたトロイアの英雄ヘクトルの妻アンドローマカ(マリアンナ・ピッツォラート)は息子とともにギリシアの英雄アキレウスの息子ピルロ(グレゴリー・カンディ)の奴隷にされています。

ところがピルロはメネラオスとヘレナとの間に生まれたエルミオーネ(ソニア・ガナッシ)という婚約者がありながら、この美しく気品のあるアンドローマカに恋してしまいます。嫉妬に狂ったエルミオーネは、彼女を慕ってギリシアから派遣されてきたアガメムノンの息子オレステ(アントニーノ・シラグーザ)をそそのかして、ついにピルロを殺すに至らしめるという、聴くも涙、語るも涙の愛の大矛盾大悲劇物語です。

なんせ台本の造作が劇的なので、これこそロッシーニ随一の傑作だとほめたたえる向きもあるようですが、音楽はいつもとおんなじパンパカパーンのロッシーニ節。ほんらい彼の音形は軽喜劇にもっともふさわしいスタイルなので、血まみれの短刀でぐさりとやるようなシーンには強烈なアンバランスを醸し出します。

ロッシーニ・クレッシェンドの劇的な高まりは、その基底部に毒のある哄笑を秘めていて、ギリシア悲劇の深刻な悲嘆とは絶対に調和しないのです。
イタリアの管弦楽団が例外なくそうであるように、ボローニャのオケも最初は寝ぼけています。しかしあおりにあおるアバドに乗せられて、次第にスパークするのですが、その頂点でオペラ自体が構造的に破綻するというきわめて貴重な瞬間を私たちは目撃することができるでしょう。



♪けふもまたちゃんちゃらおかしくいきにけり 茫洋