蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

「2台、3台のピアノのための協奏曲」を視聴して


♪音楽千夜一夜第79回

ワーナーから超廉価で発売されたバレンボイムによるベルリンフィルの弾き振りでモーツアルトの洋琴協奏曲を拝聴しました。不思議なもので今を去る数十年も昔にロンドンでジャクリーヌ・デュ・プレとよろしくやっていた頃の、同じ曲のイギリス室内管弦楽団との演奏に、オケは数等劣るというのに及ばないというのは、いったいどういう訳なのでしょうか。

普通は歳月は芸術家の技量を磨き、その表現をもっと高みに引き上げるといわれているのですが、ときおり例外もあって、それはあながちバレンボイムがその後の芸術的精進を怠ったという意味ではなくて、モーツアルトのような音楽の演奏には往々にしておこるような気がします。二度と取り戻せない若き日のみずみずしい感性の仕業でもあるのでしょう。

実際この夏バレンボイムが、ロンドンの「プロムス09」で行ったべートーヴェンの「フィデリオ」の演奏は、常に凡庸な小澤のそれを百層倍も千層倍も上回るじつに見事なもので、東西寄せ集めの非力なウエスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団をドライブして感動的なクライマックスを築きあげたのでした。

閑話休題。そのバレンボイムのCDセットのおまけについていたのが、表題の2曲のDVDで、これが非常に愉しい演奏でした。1989年6月18日にロイヤル・アルバートホールで行われた公演のライブですが、いずれもゲオルグ・ショルテイが指揮するイギリス室内管弦楽団のピアノの演奏で、2台ではバレンボイムショルティ、3台ではこれに若き日のアンドラーフ・シフが加わって喜悦と即興とユーモアがあふれたパフォーマンスを展開しています。

もともとピアノが得意なショルティですから、弾き振りなどおちゃのこさいさい、その実に適正なテンポの設定と情熱的な指揮ぶりに乗って、2人の若者が丁々発止と鮮やかな連弾を繰り広げます。いやあモーツアルトってほんとうに愉しいですね、と言いたげに3台のスタインウエィを3人3様に叩きます。

もっとも激しくぶったたいていたのはシフで、奔馬のようにヒンヒン歌いまくる彼を押しとどめようと、バレンボイムが懸命に抑えようとしますがシフは我関せず。
ショルテイに至っては、他の2人の確認も待たずにいきなりk242を開始してしまうのでバレンボイムが呆然としている、その驚きの阿呆面がもろに映っているところも楽しい限りです。

それもそのはずちょうどその頃、ショルテイは30歳ほど離れた若妻(元BBCの美人アナウンサー)と再婚したばかりでまさに幸福の絶頂にあったのでした。
茫茫夢の如し。帰らぬ青春を振りかえらせてくれる懐かしいモーツアルトです。


♪植物はあらゆる方向に触手を伸ばす 茫洋

♪植物の手と手互いに争わず光に向かいて平等に伸ぶ